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ジャガイモのはなし -アトリエN- [アトリエN]

 16世紀、スペインによるインカ帝国征服の副産物としてヨーロッパにもたらされたジャガイモは、高度4000mのアンデス高地を原産地とするだけに、冷涼なヨーロッパの風土にはよく適応した。だからといって、すぐに受け入れられたわけではない。ジャガイモ料理を献上されたエリザベス一世は有毒物質のソラニンによって危うく一命を落としかけたし、そのゴツゴツした外見はハンセン氏病を連想させ、さらには、聖書に出てこない植物であるジャガイモを食することは、神の怒りに触れるという流言も飛び交った。
 ヨーロッパにおいて戦争の無かった年が4年しかなかったという17世紀は小氷期でもあって、飢饉が打ち続いた。事情は18世紀になっても同様であり、戦争と飢饉、この二つがこの植物をヨーロッパ全土に広めたと言ってよいだろう。
 7年戦争でプロシア軍の捕虜となったフランスの薬剤師、パルマンティエはジャガイモによって五度もの捕虜生活を生き延び、帰国後ルイ16世の援助を得てパリ郊外の原野に展示試作圃場を設け「このジャガイモは非常に美味で栄養に富み、たいそう珍しいもので、王侯貴族の食べるものである。これを盗み、食するものは厳罰に処す」と周辺に宣伝した。
 そして兵士に見張らせたが、わざと夜中には兵士を眠らせ、好奇心に駆られた民衆の盗むにまかせた。この作戦が図に当たり、ジャガイモの栽培が一般に広まったという。
 「衣食足りて礼節を知る」という諺があるが、国家には当てはまらない。ジャガイモによって豊かになった国同士は盛んに小競り合いを繰り返す。1778年にプロイセンとオーストリアとの間で戦われたバイエルン継承戦争は相手国のジャガイモ畑を荒らすことを重要な戦略とした為《ジャガイモ戦争》とも呼ばれたが、言い換えれば、この植物がいかにヨーロッパにおける主要作物になっていたかを示している。
 このジャガイモ、日本には慶長年間にジャワのバタビア経由でオランダ船によってもたらされたが、その味の淡白さが野菜中心の日本食には合わず、やはり飢饉における救荒作物として徐々に広まっていったので『お救け芋』といわれたこともあったらしい。
 近年、葉を食べる虫を殺してしまう遺伝子が組み込まれた大豆やトウモロコシやジャガイモが作られたそうだが、虫を殺す遺伝子を持つ作物を食べて大丈夫なのだろうか?
 17・8世紀の欧州人の食に対する保守性を嗤うことはできないと私は思うのだが。
       『なな山だより』41号より、ブログ掲載にあたり一部改訂
  N田さん

ジャガイモ.jpg
ジャガイモ。提供:「イラストAC」https://www.ac-illust.com

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