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成木責め(なりきぜめ) -アトリエN- [アトリエN]

 隣の権助の柿の木は三十個も実を成らしているのに、善作の柿は今年も二つしか実を成らさなかった。これで三年続きの不成りである。
 小正月、善作は大ノコギリを手に柿の木の前に立ち、こう言った。
 「やい、俺が家(え)の柿よ。今年こそたんと実を成らせ。成らさねば、このノコで切り倒すぞ。成るか、成らぬか」
 どこかで「成ります、成ります」という小さな声が聞こえた(ような気がした)。
 隣の権助はその様子を物陰でうかがっていたが『そったらことで成るものかよ』とニカニカ笑っていた。
 ところがその年の秋、善作の柿は黄金色に輝く見事な実を三十個以上も成らしたのである。
 権助はぶったまげ、こう思った。
 「二つ三つの柿の実が、成木責めで三十かよ。ならば俺もやってみるべし。三十が五十にも百にもなるかも知れぬぞ」
 権助は小正月、柿の木の前に大マサカリを持って立ち、大上段に振りかざしながら、こう言った。
 「やい、俺が家の柿よ、今年は百も実を成らせ、成らさねばこのマサカリで刈り倒すぞ。成るか、成らぬか」
 どこかで小さな声が「成ります・成ります」と答えた(ような気がした)。
 さて、その年の秋、権助の柿は本当に百個もの見事な実を成らしたのである。
 味をしめた権助は、また次の小正月、柿の木の前に立ち、「やい、今年は千もの実を成らせ」
 隣で聞いていた善作が驚いて、「おい権助よ、そったらいじめるものでねえ」 
 とめたが、権助は聴かない。その年の秋、権助の柿は本当に千個もの実を成らしたが、実の重みに耐えかねて大枝の途中からポッキリ折れてしまった。
 成木責めは今でも小正月の行事としてこの国の各地に残っているが、日本だけではなくヨーロッパにも同じ風習があるそうである。
 クリーヴ・バクスターというポリグラフの大家は、ある日偶然に植物に電極をつないでみたところ、植物が人間の感情に似た反応を示したと主張している。彼は学者ではないので、その主張が全面的に受け入れられているわけではない。
  N田さん

柿の木_2.jpg
柿の木。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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