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井戸の茶碗 -アトリエN- [アトリエN]

 仲間内でも無類の正直者として知られている屑屋の清兵衛さん、曲がったことが大嫌いで、だから牛の角などを見るとムカムカしてくるほど。浪人者から預かった仏像を細川家の若侍に売ったことから、思わぬ騒動に巻き込まれてしまう。
 古典落語の大ネタ「井戸の茶碗」。
この井戸茶碗というのは高麗で庶民の食器として焼かれていたものを我が国の茶人が目に留め、高価な茶器(名物)にまつり上げたものなのだ(という説もある)。
 そもそも戦に明け暮れた戦国武将たちに器の目利きができるわけもなく、一部の茶人たちの言うがままであったと思われるから、中にはかなり法外な利をむさぼった宗匠もいたのだろう。
 「いい仕事してますねえ」と、ひとこと言えば、数百両が転がり込むというわけである。
 千利休の切腹事件もあるいはそこらあたりに原因の一つが?などと思ったりもするが、太閤となった後の豊臣秀吉は完全に狂っていたので、まともな理由などなく、むしろ下司の勘繰りというべきかもしれない。
 日本人は到来物に弱い。古くは漢字や孔孟思想、仏教や朱子学を受け入れ、いわば日本全体を唐土(もろこし)文化で染め上げた。
 それが明治以降になると、西欧文明が怒涛のごとく流入し、さらに第二次大戦後にはアメリカ文化の洪水である。
 よく日本人は島国根性で閉鎖的だとか云われるが、どうしてどうして、日本人ほど外来文化に対するこだわりのない民族も少ないのではあるまいか?古くは中国文明、そして近代では欧米文明が、我が国の国風を作り上げていて、日本オリジナルのものなど、どこにもないようにさえ見える。
 虎杖・蒲公英・満天星。順にイタドリ・タンポポ・ドウダンツツジと読むが、我が国には折角カナという便利なものがあるのに、わざわざ難解な漢字をあてて知識をひけらかしているのは、あまり感心できない。
 それがいまやアメリカ語を中心とした横文字が氾濫していて、現代では、横文字を使えなければ知性ある存在と認められないかのようだ。
 しかし、実のところは中国かぶれが欧米かぶれに替わっただけのことであって、ときどきは、そのあまりもの開放性に『ニッポン人・大丈夫かいな?』と心配になるぐらいである。
 ハルジオン・ヒメジョオン・アカミタンポポ・ヤセウツボ・オオイヌノフグリ・カラスノエンドウ・シロツメグサ・イモカタバミ・ショカツサイ・ヒメオドリコソウ・ナガミヒナゲシ・ワルナスビ・・・・・路傍で見られる帰化植物は、まだまだこんなものではない。人間がグローバルな経済活動をする限り、外来植物が流入するのは仕方のないことだろうが、わが国の場合、ちょっと度が過ぎているのではないかと思うのだ。
 世界中を探しても、これほど温暖で、きれいな水に恵まれ、しかも豊かな土壌を持つ国は珍しいのだから、外来物に対するこだわりの無い国民性も相まって、帰化植物にとって日本という国は、黄金のユートピアなのだろうか?
 それとも、それはうわべだけの現象であって、実のところは、ニッポンという草叢の中にすべてを引きずり込んで、ズブズブに国風化してしまう、緑の魔境なのだろうか?
  N田さん

茶碗.jpg
茶碗。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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