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箆棒め! -アトリエN- [アトリエN]

 私が十歳前後の頃だから、そんなに昔の話ではない(かどうかは、その人の見方による)。母親は古くなったご飯をつぶして糊を作り、浴衣などを漬けて干していた。私も糊づくりを手伝った記憶がボンヤリとある。
 いまでは糊と言えば生活用品売り場か文房具売り場で買うものというのが当たり前のことになっているし、その原料にしても化学的に合成されたものが大半だろうが、ついこの間までは各家庭で作っていたのであって、現在の姿が当たり前であるとは言い切れないのではないだろうか。
 ご飯粒をひとつひとつ丁寧につぶさなければ、良い糊は作れない。そのために箆棒というものが使われた。
 てやんでえ、べらぼうめ!という江戸っ子の啖呵は、何言ってやがる、この穀つぶしめ、という意味なのだが、箆棒(へらぼう)め!では迫力不足で力が抜ける。そこでベラボウとわざわざ濁らせたのだそうだ。
 イネは南部インドで生まれた植物である。
 それに対して、小麦は古代メソポタミア地方で生まれた。
 イネは大量の水と、高気温を必要とするので、冷涼でしかも雨量の少ないヨーロッパではなかなか育たない。
 だからヨーロッパでは主に麦が栽培されている。
 日本の農村は、ごちゃごちゃとしている。
 猫の額ほどの田圃が、川や沼や茅葺屋根の間に点在し、時には山を削って棚田が広がる。
 それに対してヨーロッパの麦畑は、小さな農家を点在しながら、果てしなく広がる。
 しかし、見方を変えれば、この二つの植物の生産性の差が風景の違いとなっている。
 化学肥料の発達した現代において、小麦は播いた種の20倍前後の収量であるのに対して、コメは110倍以上の収量を誇る。だから、同じ人口(まさにヒトの口)を養うにしても、小麦は広大な農地が必要となり、米は狭い農地でも、たくさんの人の食をよく支えるのだ、
 作物には、連作障害が避けられない。農地で作物を栽培することによって、土中の栄養分が失われ、土地は痩せていく。化学肥料を使えば、水分の蒸発につれてミネラルが土地の表面に上昇し蓄積されてくる(これを塩類集積という)。また、あらゆる植物は根から他の植物の生育を阻害する物質を出し、これも土の中に溜まっていく。
 農業による地力の低下や塩類集積によって、世界中で毎年500万ヘクタール以上もの農地が砂漠化していると云われるが、これは日本の全農地面積を超えているのだ。
 連作障害のために、麦は毎年作ることが出来ない。ただでさえ土が痩せているヨーロッパでは、なおさらである。
 コメも同じことだろうと思われるかもしれないが、田に張られた水が山からの養分を補給し、古い塩類や阻害物質を洗い流し、病害虫の発生も抑える。水田というのは、実に見事なシステムなのである。
 我が国のすべての水路を一本につなげれば地球を十周以上もするというが、この水路を維持管理する労力は並大抵のものではない。
 稲作の導入以来、我が国のお百姓たちは連綿として、すべての田圃に水をいきわたらせるために果てしない労力を注いできた。日本の水田を守れというのは簡単だが、水路の雑草やごみを取り除き、畔を補修するという過酷な労働を、これからは誰が背負ってくれるのか?豊かさに慣れた現代の若者にそれを期待するのは、無理というものだろう。
 それならば、移民に頼るしかないのかもしれないが、そうなった暁には、彼らが初めて覚える日本の啖呵は「てやんでえ、ベラボウめ」かも知れない。
  N田さん

竹へら.jpg
竹へら
写真提供:ネットストア「モノタロウ」https://www.monotaro.com

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