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カモン・ベイビー -アトリエN- [アトリエN]

 日本の家紋は平安貴族が牛車に使った紋がはじまりだという。それが武士たちに広まり、江戸時代になると一般庶民までが、てんでに家紋を使うようになった。
 ヨーロッパの紋章は王侯貴族たちだけのもので、生き物なら鷲やライオン、ドラゴンなど、花ならユリやバラを使ったものが多いが、日本の家紋はそういう派手派手しいものはあまり使わない。
 鷹の羽・繋ぎ馬・並び矢などをデザインしたものもあるが、それらはむしろ少数派で、花や草木・動物といっても雀や亀や兎など比較的攻撃性の少ないもの・それに単なる図案などが多い。もともとが貴族の車紋に発したので、血や死を連想させるものをケガレとして忌み嫌う習わしが受け継がれてきたのかもしれない。
 徳川家の三つ葉葵・豊臣秀吉の五三の桐・斎藤道三の撫子・太田道灌や明智光秀の桔梗など、戦国武将たちは植物をモチーフにした家紋を好んだ。日本人としては超がつくほど合理的な考え方をする織田信長ですら、使う家紋は木瓜(モッコウ)なのである。もっとも、彼だからこそ、家紋などはどうでもいいという考えだったのかも知れない。
 日本の十大家紋は、順に藤・桐・鷹の羽・木瓜・片喰・蔦・茗荷・沢潟・橘・柏だが、鷹の羽を除く九つが植物で、しかも片喰(カタバミ)沢潟(オモダカ)にいたっては、雑草である。
 我が国にだって鷲もいれば熊や狼もいた。
 しかし、日本の武将たちは、猛獣や猛禽を選ぶことなく、植物を選んだ。日本人の奥ゆかしさのあらわれなのだろうか?いやいや、彼らは雑草の生命力にむしろ価値を見出したのであって、見かけの強さなどには心を動かさなかったのだと思う。そこに【過去の】日本人の精神性の高さを私は見る。
 片喰紋を使った武将は、酒井重忠・長曾我部元親・宇喜田秀家などがいて、近現代では小説家の坂口安吾、映画監督の黒澤明などがいる。
 沢潟紋の武将には、福島正則・豊臣秀次・毛利元就がいて、現代ではタレントの大橋巨泉・黒柳徹子などが沢潟紋である。
 有名な徳川家の三つ葉葵は山林にひっそりと咲くフタバアオイをモチーフにしているが、これはアオイ科の植物ですらなく、ウマノスズクサ科のごくちいさな雑草である。
 明治に文明開化して、我が国に「ネイチャー」という概念がやってきた。その『ネイチャー』を日本人は『自然』と訳した。その前にも日本に『自然』という言葉はあったが、それは「あるがまま」を意味する仏教用語で、『シゼン』とは呼ばず、「ジネン」「ジゼン」と呼んでいた。キリスト教の影響が色濃い西欧社会では、ヒトは神の代理人として、他のあらゆる動植物と対峙している。ヒトにとって自然(ネイチャー)は対決し、管理する対象なのである。
 西欧社会の人間は、いわば自然の外にいる。
 それに対して我が国では、人は自然の中にいる。ヒトも動物も虫も草も、同じフィールドに生きている。それは西欧のような支配し支配される関係ではない。我が国に『ネイチャー』という概念が無かったのも、当たり前であるといえるだろう。
 日本の家紋に雑草や、雑草に近い植物が使われているのには、そんな背景があるのだと、私は思っている。
 さて、わがN田家の家紋が『丁子』であることを最近になって知った。丁子はクローブとも呼び、インドネシアのモルッカ群島を原産地とする植物らしいが、和服を着る機会もなかった私はこの家紋を使ったことがないし、今後もないだろう。
 「子」が付くだけに、カモン(家紋)ベイビーとでも覚えておくとしようか。
 ダジャレにしても、キレがなさすぎて笑えないって?
 この猛暑ですからねえ。わが灰色の脳細胞も、半分溶けかかっているのであります。
  N田さん

家紋.png
イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

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