SSブログ

ベルサイユのジャガイモ -アトリエN- [アトリエN]

 ルイ16世とその王妃 マリー・アントワネットが愛した花は、ジャガイモの花だった。
 王は服のボタン穴に、王妃は胸に、ジャガイモの花を飾っていたが、実はジャガイモの栽培をフランス中に広めようという思惑を秘めたパフォーマンスでもあったようだ。
 「ベルサイユのバラ」は池田理代子氏の大ヒット漫画だが、【ベルサイユのジャガイモ】ではあんまりで、ギャグ漫画にしかならなかっただろう。もっとも私は原作を読んでいないし、宝塚のオペラも見ていないので、それ以上のことは言えない。
 マリー・アントワネットが言い放ったという「パンが食べられない?だったらお菓子を食べればいいじゃない」は有名だが、これは彼女の言葉ではないという。彼女を断頭台に送った集団にとって、マリー・アントワネットとは、驕慢な悪女でなければならなかったということなのだろう。
 16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、ソラニンという毒性物質の存在や、そのゴツゴツした外観からハンセン氏病を惹き起こすとか、種で増えず地中の芋で増える生態が聖書に書かれていないことから、悪魔の作物であるなどと忌み嫌われ、しばらくの間食品としては冷遇されていた。
 もっぱら観賞用植物の位置づけだったのである。ところが相次ぐ戦争と飢饉のために冷涼な気候に強いジャガイモの特性が認知され、ヨーロッパ全土で栽培されるようになった。
 ドイツ北部にあったプロイセン王国のフリードリッヒ2世は、やせた土地でも育つジャガイモの特性に注目し、自ら各地を巡ってジャガイモ普及のキャンペーンを展開したが、従わない連中に対しては、耳や鼻をそぎ落としたりして、力ずくでドイツの地にジャガイモを定着させた。
 イギリスによって徹底的に搾取され、採れた小麦のすべてがブリテンに送られていたアイルランドにジャガイモがやってくると、あっという間に全土に広がり、そのおかげで360万足らずの人口が、短期間に800万人を超えるまでになったが、そこに悲劇が襲った。ジャガイモがカビにおかされるという病気が発生し、瞬く間にアイルランド全域に広がったのである。
 いくつかある品種をバランスよく栽培していればよかったのかもしれないが、食うや食わずの民衆にそんな余裕はない。
 収量の大きいひとつの品種に特化していたため、ほとんどすべてのジャガイモがカビにやられてしまったのだ。
 このため、百万人以上が餓死し、残った人たちのうち400万人もが故郷を捨てて北米に渡ったという。このとき、イギリスはどうしていたのか?なにもせず、ただ見ていただけなのである。
 ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、バラク・オバマなどのアメリカ大統領や、ウォルト・ディズニー、ハンバーガーのマクドナルド兄弟などは、この時のアイルランド移民の子孫なのだ。
 さて、閑話休題(それはさておき)。
 パタタ(patata)というのは、原産地の中米ではサツマイモの呼び名だったのだが、それがヨーロッパでは何故かジャガイモを意味する『potato』となり、サツマイモは「スィートポテト」と呼ばれるようになった。
 サツマイモとしては心外な話である。
 『本家はオレだろ?』
 という気持ちが捨てきれないのか、サツマイモを食する人達のお腹にガスを発生させるという、意趣返しをするようになった。
 とはいっても、サツマイモのおならは、ほとんど二酸化炭素で、臭くはないそうであるが。
  N田さん

マリー・アントワネット.png
マリー・アントワネット。イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

コメント(0) 
共通テーマ:地域