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エル・フマドール(EL FUMADOR) -アトリエN- [アトリエN]

 ビクトリア王朝時代のイギリスの軍人で、海洋探検家であり、また詩人でもあったウォルター・ローリーは、新大陸から持ち帰ったタバコを自分の農園で育て、パイプでくゆらすのを秘かな楽しみにしていた。
 ある日彼は、召使にビールとナツメグを持ってくるように言いつけ、パイプに火をつけたが、読書に集中していたために召使が書斎に入ってきたことに気づかなかった。
 召使はローリーの口から煙が出ているのを見て「ご主人様が燃えている!」と仰天して、手に持っていたビールをローリーの頭にかけてしまった。よくできた面白い話ではあるが、どうやら作り話らしい。
 コロンブスの一行が新大陸に到達するまで、西洋人はタバコの存在を知らなかったが、まずそれは珍奇な薬草としてスペインに持ち帰られ、スペインは長い間国外への持ち出しを禁止していた。しかし、いつまでも秘密にしておくことはできない。やがては周辺国の知るところとなり、喫煙の習慣は徐々にヨーロッパ中に広まっていった。
 当初注目されたのは、その薬効であり、ほとんど万能の薬として、多くの学者や聖職者が記録に残している。煙を吸飲するだけでなく、その葉を傷口に貼ったり、絞り汁を浣腸液として肛門から注入したりした。ペストが大流行したロンドンでは、タバコが最強の予防薬と信じられ、学童たちまで登校前に喫煙することを義務付けられた。
 フランスの上流階級では、嗅ぎタバコが流行した。そもそも嗅ぎタバコを嗜むのに火はいらず、粉を入れた小さな函を持ち歩けばよかった。また当時の西洋では「病気は4種の体液のバランスが崩れることによって起こる」という学説が支配的で、鼻にタバコの粉を吸い込んだ際に出るくしゃみには、体液のバランスを整える効果があると信じられていた。「小ぶりで優美な煙草入れを取り出し、品よくポンと叩き、上品にタバコを嗅ぐべし。すみやかに蓋を開け、友に薦めるべし……」そして、優雅なくしゃみの仕方すら、嗅ぎタバコのマナーに組み込まれていたという。
 アメリカで流行したのは噛みタバコである。
 タバコの葉をひも状に固めたものをナイフで小さく刻みとり、くちゃくちゃと噛み、唾と一緒にニコチンを飲み込む。噛みかすはぺっと吐き出す。噛みタバコをやると一日中腹が減らないといわれ、第7代大統領のアンドルー・ジャクソンなどは、ホワイトハウスの中であたりかまわず唾を吐いた。
 わが国には、豊臣秀吉が生きていた慶長年間に「幾世流(キセル)」とともに、ポルトガルからやってきたらしい。器用な日本人は、刻みタバコもキセルも、すぐに自家薬籠中のものにしてしまった。
 葉巻や紙巻きタバコの習慣はあまり広まらず、小粒な刻みタバコを火皿に詰め、煙を2、3服吸って、ポンとはたく。
 それほどお金がかからない喫煙法である。
 江戸時代には、タバコを吸えるのは一人前の証という暗黙のルールが成立しており、稼ぎのあるものなら男でも女でも、年齢に関わらず認められていた。だから庶民のカミさんでも、稼ぎさえあれば大っぴらにタバコを吸うことが出来たが、武家の妻女は家を守るだけで稼ぎがないからという理由で、許されなかったという。それが明治になると「女人のタバコは好ましからず」という風潮となり、女性の喫煙に暗黙の圧力がかかるようになったというが、むしろ明治以降よりは江戸時代のほうが、まだまだ大らかな社会であったといえるのだろう。
 それが今や、愛煙家にとっては暗黒時代といってもいいような世相になってしまった。
 タバコは肺がんを惹き起こし、吸う本人にだけでなく、副流煙によって周囲の人にまで健康被害をもたらす。ストレスを癒し、ほっと一息つけるという心理的な効果はあるものの、それはなかなか数値化が難しく、健康被害の具体的な数値を突き付けられると、いかにも分が悪い。若いころ20数年にわたって愛煙家であり、いまは30年あまり休煙中であるわたくしであるが、禁煙ファッショともいえるような近頃の風潮は、いささか度を過ぎたものであると思えるのだ。
 マヤの神殿には『エル・フマドール』と呼ばれる、キセルを持った神のレリーフが刻まれている。タバコの煙で大地を清めたと言い伝えられる神である。
 だが、しかし。
 道を歩けば歩道のいたるところに吸い殻が落ちているのを目にする。雨に叩かれ風に煽られ、やがては下水道を伝って海に流れ込み、海洋生物に悪さをするのだろう。
 エル・フマドール(スペイン語で『タバコを吸う人』そのまんまである)ですら、天上からそんな有様を覗き見て、心を痛めているのではないだろうか?
  N田さん

たばこを吸う人.png
たばこを吸う人。イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

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