SSブログ

ベルサイユのジャガイモ -アトリエN- [アトリエN]

 ルイ16世とその王妃 マリー・アントワネットが愛した花は、ジャガイモの花だった。
 王は服のボタン穴に、王妃は胸に、ジャガイモの花を飾っていたが、実はジャガイモの栽培をフランス中に広めようという思惑を秘めたパフォーマンスでもあったようだ。
 「ベルサイユのバラ」は池田理代子氏の大ヒット漫画だが、【ベルサイユのジャガイモ】ではあんまりで、ギャグ漫画にしかならなかっただろう。もっとも私は原作を読んでいないし、宝塚のオペラも見ていないので、それ以上のことは言えない。
 マリー・アントワネットが言い放ったという「パンが食べられない?だったらお菓子を食べればいいじゃない」は有名だが、これは彼女の言葉ではないという。彼女を断頭台に送った集団にとって、マリー・アントワネットとは、驕慢な悪女でなければならなかったということなのだろう。
 16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、ソラニンという毒性物質の存在や、そのゴツゴツした外観からハンセン氏病を惹き起こすとか、種で増えず地中の芋で増える生態が聖書に書かれていないことから、悪魔の作物であるなどと忌み嫌われ、しばらくの間食品としては冷遇されていた。
 もっぱら観賞用植物の位置づけだったのである。ところが相次ぐ戦争と飢饉のために冷涼な気候に強いジャガイモの特性が認知され、ヨーロッパ全土で栽培されるようになった。
 ドイツ北部にあったプロイセン王国のフリードリッヒ2世は、やせた土地でも育つジャガイモの特性に注目し、自ら各地を巡ってジャガイモ普及のキャンペーンを展開したが、従わない連中に対しては、耳や鼻をそぎ落としたりして、力ずくでドイツの地にジャガイモを定着させた。
 イギリスによって徹底的に搾取され、採れた小麦のすべてがブリテンに送られていたアイルランドにジャガイモがやってくると、あっという間に全土に広がり、そのおかげで360万足らずの人口が、短期間に800万人を超えるまでになったが、そこに悲劇が襲った。ジャガイモがカビにおかされるという病気が発生し、瞬く間にアイルランド全域に広がったのである。
 いくつかある品種をバランスよく栽培していればよかったのかもしれないが、食うや食わずの民衆にそんな余裕はない。
 収量の大きいひとつの品種に特化していたため、ほとんどすべてのジャガイモがカビにやられてしまったのだ。
 このため、百万人以上が餓死し、残った人たちのうち400万人もが故郷を捨てて北米に渡ったという。このとき、イギリスはどうしていたのか?なにもせず、ただ見ていただけなのである。
 ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、バラク・オバマなどのアメリカ大統領や、ウォルト・ディズニー、ハンバーガーのマクドナルド兄弟などは、この時のアイルランド移民の子孫なのだ。
 さて、閑話休題(それはさておき)。
 パタタ(patata)というのは、原産地の中米ではサツマイモの呼び名だったのだが、それがヨーロッパでは何故かジャガイモを意味する『potato』となり、サツマイモは「スィートポテト」と呼ばれるようになった。
 サツマイモとしては心外な話である。
 『本家はオレだろ?』
 という気持ちが捨てきれないのか、サツマイモを食する人達のお腹にガスを発生させるという、意趣返しをするようになった。
 とはいっても、サツマイモのおならは、ほとんど二酸化炭素で、臭くはないそうであるが。
  N田さん

マリー・アントワネット.png
マリー・アントワネット。イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

コメント(0) 

脚気と森鴎外 -アトリエN- [アトリエN]

 『江戸煩(わずら)い』という奇妙な病気があった。日本の米食は長い間玄米が中心で、白米は高貴な人々の食べるものであったが、江戸時代になって、一般庶民までが白米を食べることができるようになった。江戸に行けば仕事があって、しかも白いおまんまが食べられるというので、地方から人々が江戸の町に押し寄せたのである。ちなみに当時の江戸の人口は、百万を超えていて、世界最大の都市だったという。
 ところが、その江戸で奇妙な病気が流行し始めた。地方からやってきた人々が体調を崩すという現象が頻発したのである。足元がおぼつかなくなったり、怒りっぽくなったり、場合によっては寝込んでしまう。そんな人々が故郷に帰ると、症状がぴたりとおさまってしまうのだ。そこで『江戸煩い』と呼ばれるようになったこの病気は、ビタミンB1欠乏症すなわち脚気なのであった。
 その脚気が、明治になると軍隊の中で大流行するようになる。
 明治八年の陸軍の報告書によると、軍隊では百人のうち二十六人が脚気になり、陸軍では22パーセント、海軍でも5パーセントが死亡した。
 海軍医務局長・高木兼寛はイギリス留学中に、ヨーロッパに脚気がないことに着目し、これは白米を中心とした日本の兵食に原因があるのではないかと考えた。そこで遠洋航海実験で、蛋白を増やした糧食により脚気の発生がなくなることを証明した。彼は周囲の反対を押し切り、明治18年以降、兵食を麦飯に切り替えて、海軍の脚気を根絶することに成功した。のちに判明したことだが、蛋白は関係なかった。結果的に麦食が脚気を根絶したのは、ある意味で結果オーライという側面もあったのだ。
 ところが、陸軍の医務方トップであった森林太郎(鴎外)は麦飯の効果を認めず、海軍が正式に麦食を採用してからも、さらに20年もの間、陸軍兵食に麦を採用することを許さなかった。その背景には、陸軍と海軍との感情的な対立があった。もともと海軍は陸軍から分かれたので、日本陸軍には伝統的に「陸主海従」思想があり、そのため、メンツの上からも、海軍の主張を受け入れるわけにはいかなかったのだ。その結果、日清・日露の戦争では、海軍の脚気死者がほとんどいなかったのに対して、陸軍においては3万人もの脚気死者が出るという惨禍を招いてしまった。
 それだけではなく、「脚気菌」の存在を否定した北里柴三郎を激しく非難し、脚気治療薬としてビタミンを世界ではじめて発見した鈴木梅太郎の業績をも、痛烈に批判したのである。鴎外のこの言動がなかったら、日本人最初のノーベル賞は鈴木梅太郎のものだったといわれている。
 森鴎外は「舞姫」や「阿部一族」で著名な明治の大文豪であり、医学者としても超エリートだったが、こと脚気については歴史に大汚点を残しており、しかも死ぬまで脚気細菌説を捨てなかった。
 むしろ彼が凡人であったなら、3万人を超す死者を出すような愚は犯さなかったのではあるまいか?超秀才にして超エリートといわれるような人間が犯す過ちは、暗愚な人のそれよりも、はるかにタチが悪いと云えそうである。
 遠い明治の話だろう、って?
 いやいや、日進月歩の科学に対して、人間そのものはほとんど進歩しない。
 古代ローマのユリウス・カエサル(シーザー)に較べて現代日本の政治家が、その知性や人間性において優っていると誰が言えるだろうか?
  N田さん

脚気.png
脚気。イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

コメント(0) 

ゴボウ哀歌 -アトリエN- [アトリエN]

 ゴボウはキク科の植物で、アザミと近縁なので、種を播いて2~3年もするとアザミによく似た淡紫色の頭状花を咲かせる。
 世界中でもゴボウの根を野菜として食べる習慣を持つのは日本人だけで、「飛ぶものなら飛行機以外、四本足なら机以外はなんでも食べる」といわれる中国人も、ゴボウの根を食材にはしない。漢方薬として利用するくらいである。ヨーロッパでは主に花を愛でる。たまにはその若葉をサラダにすることもあるというが、ゴボウの根を食べることはない。
 戦時中に新潟県の直江津俘虜収容所でオーストラリア兵に対する虐待が行われたとして、終戦後 横浜軍事法廷で裁判が行われ、八人の日本人関係者が絞首刑になった。
 その虐待行為の一つの例として『捕虜に木の根を食べさせた』ことが挙げられたが、その木の根とはゴボウの事なのであった。日本人と欧米人の食習慣の違いが生んだ悲劇であったと云えないことも無いが、極東裁判自体、戦勝国が一方的に敗戦国を裁くという、国際リンチだったので、なんでもありの一つだったのであろう。
 敗戦目前の日本では食料が不足しており、日本人でさえ飢えていた。捕虜の栄養状態を心配した収容所が、むしろ好意で、その頃は高価だったゴボウを食事に出したのだったが、そのような事情は考慮されなかった。
 もっとも、日本人は挨拶代わりに人を殴った、という捕虜の証言にある通り、軍の中では暴力が常態化しており、それは同じ日本人同士でも、上官と部下との間で当たり前のように行われていたということもある。それが捕虜に向けられた時に、異国人をリスペクトしない日本人に対する恨みや反感が、捕虜たちの心の底にわだかまっていたことは間違いないだろう。戦争犯罪を裁くのなら、アメリカによる原爆投下こそ、第二次大戦における最大の戦争犯罪ではないかと思うが、それを語るのは、当時も今も半ばタブーとされている。
 さて、重い話はこのくらいにして。
 観光地などで「ヤマゴボウ」の名で売られている漬物の原材料はモリアザミ・フジアザミ・オヤマボクチなどで、本当のヤマゴボウやヨウシュヤマゴボウは有毒である。多量の硝酸カリを含んでおり、腹痛・下痢・嘔吐を惹き起こし、ひどいときには昏睡に至る。
 誤食事故には十分注意したい。
 中国から薬草として渡来したこのゴボウの種子は、「牛蒡子」「悪実」と呼ばれ、発汗利尿・消炎・排膿薬として用いられる。
 ゴボウの実を見る機会はあまりないが、オナモミと同じように、びっしり生えている刺の先端が、釣り針の先のように折れ曲がっている。スイス人のデ・マエストラルは野生ゴボウの実の形に注目して、マジックテープを発明したという。
 熊と相撲を取ったという伝説のある金太郎(坂田の金時)の息子・金平の名にちなむキンピラゴボウ。別に坂田金平がそれを作ったわけではなく、精力に溢れた人物と精の付く食べ物とを連想で結び付けただけではあるのだが、キンピラゴボウはゴボウとニンジンを使い、それにゴマを加える。豊富な食物繊維が腸内を掃除し、ゴマのセサミンが血液をサラサラにする。野菜食中心の伝統を持つ日本人の腸は長いので、ゴボウの根を消化するのに苦労はしないが、肉食である白人の腸は短い。
 直江津俘虜収容所のオーストラリア兵たちにとって、ゴボウの料理を消化することは、虐待といえるほどの苦行だったのだろうか?
  N田さん

きんぴらごぼう.jpg
きんぴらごぼう。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

コメント(0) 

ミョウガのはなし  -アトリエN- [アトリエN]

 釈迦の弟子のひとり、周梨槃特(シュリハンドク)は、物忘れがひどく、お経が覚えられないだけでなく、自分の名前さえすぐ忘れてしまうので、自分の名を書いた木の札を首から下げているほどであった。ところが彼は、その札をぶら下げていることまで忘れてしまうのである。しかしそんな彼が、ついには煩悩まで忘れてしまったために、他の高弟に先駆けて悟りを拓いたという。凡人の私には信じられない話である。私などは自分の肉親の顔を忘れても、煩悩を忘れることはない。それだけは自信をもって言うことができる。
 周梨槃特が首から下げていた木の札を「名荷」といい、人々は彼の墓から生えてきた植物を「茗荷」と呼んだ。
 茗荷を食べると物忘れをするというのは、この周梨槃特の言い伝えから来ているようだが、落語「茗荷宿屋」では、大金を持ったお客に茗荷を食べさせて、財布を忘れさせようと奮闘する宿屋の主人が登場する。件のお客は茗荷を食べすぎて、宿代を払うのを忘れて行ってしまった・というオチである。
 ミョウガはショウガ科ショウガ属の植物で、香りの強いほうを兄の香「せのか」、弱いほうを妹の香「めのか」と呼んだのが、いつしか「ショウガ」「ミョウガ」になってしまったという、もう一つの説があるが、むしろこちらのほうが真実に近いのかもしれない。
 ミョウガを食べると物忘れをするというのはあくまで俗説で、実際にはそんなことはない。むしろ集中力を高め、眠気を覚まし、ストレスや神経疲労・夏バテ解消・エアコン負けなどに効果があるという。
 赤っぽい芽のような形のミョウガは、花蕾である。我々が食べるのは、ミョウガの花なのだ。
 ショウガが世界中で利用されているのに対し、ミョウガは中国・朝鮮・日本などで食べられているに過ぎないが、その独特の香りが敬遠されているのに加え、栽培が難しいことも影響しているようだ。
 さて、猛暑が続いている。
 今夜の食事には、ソーメンでも茹でることにしようか。薬味にはミョウガを刻んで、つかの間暑さを忘れることとしよう。
  N田さん

ミョウガ.jpg
ミョウガ。提供:「写真素材足成」http://www.ashinari.com

コメント(0) 

名前のはなし その2 -アトリエN- [アトリエN]

 寿限無・寿限無・五劫のすりきれ(以下略)は結構ワルガキで、近所の子供を殴ってたんこぶをこさえたりもする。ある日殴られた子供が寿限無の家にやってきて、「おじさん、お宅の寿限無・寿限無・五劫のすりきれ(以下略)があたいを殴ってこぶができちゃったよ」
 すると親父が「なに?うちの寿限無・寿限無・五劫のすりきれ(以下略)がおめえを殴ったのか?ちょっと見せてみな」
 そんなやりとりを続けている間に、あまりにも長ったらしいので、子供のたんこぶは引っ込んでしまった。
 落語『寿限無』は皆が良く知っている噺ながら、そのわりに真打級の噺家が演じることは、あまりない。どちらかと言えば前座ネタである。
 パブロ・ピカソの本名は《パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロスデメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ》だというが、ピカソ自身覚えきれないからと生涯使った事がないという。
 植物界で最も長い名前(和名)は、リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(竜宮の乙姫の元結の切り外し)で、アマモという海草の一種だそうだが、一体誰がこんなにも長い名前をつけたのだろうか?
 他に長い名前の植物を挙げると
 シロバナヨウシュチョウセンアサガオ
 シロバナトウゴクミツバツツジ
 シロバナエゾノタチツボスミレ
 ツクシヒトツバテンナンショウ
 ミヤマホソコウガイゼキショウ
 などがある。
 哺乳類には「ニューギニアヒメテングフルーツコウモリ」
 魚類には「ゴールディーリバーレインボーフィッシュ」
 昆虫には「セイタカアワダチソウヒゲナガアブラムシ」などがいる。
 極端に短い植物の名前としては
 「イ(藺)」で、畳の材料になる。
 むしろ短すぎて言いにくいのか、「イグサ」と呼ばれたりもするが、長すぎても短すぎても不便なものらしい。
 池田清彦博士の「不思議な生き物」という本の中に、トゲトゲ(トゲハムシ)の奇妙な話がある。体中にいっぱいトゲが生えていることから、その名がついているのだが、東南アジアにはトゲのないトゲトゲがいて、付けられた名前が「トゲナシトゲトゲ」。
 ところが、体の構造はどうみても「トゲナシトゲトゲ」なのに、トゲのある「トゲナシトゲトゲ」が見つかった。そこでついた名前が「トゲアリトゲナシトゲトゲ」。 
 話はこれで終わらない。ニューギニアで、トゲアリトゲナシトゲトゲの仲間にトゲのないものが見つかったのだ。
 『トゲナシトゲアリトゲナシトゲトゲ』
 あまりにややこしいので、いい加減にしろと、面識のあるトゲトゲ(そんなもん、いるわけないだろ!)に文句を言ってみた。 
 「知るかよ、そんなこと。ニンゲンが勝手に名前を付けてるだけだろ」
 と、トゲトゲしい返事が返ってきた。
 × × × × × × 
 人間はあらゆるものに名前を付けないではおかない。学者ともなれば尚更だろう。
 しかし、ヒト以外の生物にとって、名前などは何の意味もないのである。
 人間界にはたまに『名前だけで生きている』ようなヒトが出現するが、不思議な生き物とは、まさにそのような存在を言うのではあるまいか?と私は思っている。
  N田さん

寿限無.png
イラスト提供:「いらすとや」https://www.irasutoya.com

コメント(0) 

カモン・ベイビー -アトリエN- [アトリエN]

 日本の家紋は平安貴族が牛車に使った紋がはじまりだという。それが武士たちに広まり、江戸時代になると一般庶民までが、てんでに家紋を使うようになった。
 ヨーロッパの紋章は王侯貴族たちだけのもので、生き物なら鷲やライオン、ドラゴンなど、花ならユリやバラを使ったものが多いが、日本の家紋はそういう派手派手しいものはあまり使わない。
 鷹の羽・繋ぎ馬・並び矢などをデザインしたものもあるが、それらはむしろ少数派で、花や草木・動物といっても雀や亀や兎など比較的攻撃性の少ないもの・それに単なる図案などが多い。もともとが貴族の車紋に発したので、血や死を連想させるものをケガレとして忌み嫌う習わしが受け継がれてきたのかもしれない。
 徳川家の三つ葉葵・豊臣秀吉の五三の桐・斎藤道三の撫子・太田道灌や明智光秀の桔梗など、戦国武将たちは植物をモチーフにした家紋を好んだ。日本人としては超がつくほど合理的な考え方をする織田信長ですら、使う家紋は木瓜(モッコウ)なのである。もっとも、彼だからこそ、家紋などはどうでもいいという考えだったのかも知れない。
 日本の十大家紋は、順に藤・桐・鷹の羽・木瓜・片喰・蔦・茗荷・沢潟・橘・柏だが、鷹の羽を除く九つが植物で、しかも片喰(カタバミ)沢潟(オモダカ)にいたっては、雑草である。
 我が国にだって鷲もいれば熊や狼もいた。
 しかし、日本の武将たちは、猛獣や猛禽を選ぶことなく、植物を選んだ。日本人の奥ゆかしさのあらわれなのだろうか?いやいや、彼らは雑草の生命力にむしろ価値を見出したのであって、見かけの強さなどには心を動かさなかったのだと思う。そこに【過去の】日本人の精神性の高さを私は見る。
 片喰紋を使った武将は、酒井重忠・長曾我部元親・宇喜田秀家などがいて、近現代では小説家の坂口安吾、映画監督の黒澤明などがいる。
 沢潟紋の武将には、福島正則・豊臣秀次・毛利元就がいて、現代ではタレントの大橋巨泉・黒柳徹子などが沢潟紋である。
 有名な徳川家の三つ葉葵は山林にひっそりと咲くフタバアオイをモチーフにしているが、これはアオイ科の植物ですらなく、ウマノスズクサ科のごくちいさな雑草である。
 明治に文明開化して、我が国に「ネイチャー」という概念がやってきた。その『ネイチャー』を日本人は『自然』と訳した。その前にも日本に『自然』という言葉はあったが、それは「あるがまま」を意味する仏教用語で、『シゼン』とは呼ばず、「ジネン」「ジゼン」と呼んでいた。キリスト教の影響が色濃い西欧社会では、ヒトは神の代理人として、他のあらゆる動植物と対峙している。ヒトにとって自然(ネイチャー)は対決し、管理する対象なのである。
 西欧社会の人間は、いわば自然の外にいる。
 それに対して我が国では、人は自然の中にいる。ヒトも動物も虫も草も、同じフィールドに生きている。それは西欧のような支配し支配される関係ではない。我が国に『ネイチャー』という概念が無かったのも、当たり前であるといえるだろう。
 日本の家紋に雑草や、雑草に近い植物が使われているのには、そんな背景があるのだと、私は思っている。
 さて、わがN田家の家紋が『丁子』であることを最近になって知った。丁子はクローブとも呼び、インドネシアのモルッカ群島を原産地とする植物らしいが、和服を着る機会もなかった私はこの家紋を使ったことがないし、今後もないだろう。
 「子」が付くだけに、カモン(家紋)ベイビーとでも覚えておくとしようか。
 ダジャレにしても、キレがなさすぎて笑えないって?
 この猛暑ですからねえ。わが灰色の脳細胞も、半分溶けかかっているのであります。
  N田さん

家紋.png
イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

コメント(0) 

キになるはなし -アトリエN- [アトリエN]

 1893年のアメリカで「トマト裁判」なるものが争われた。果物だと主張する輸入業者と、野菜派の農務省。実は学術的な言い争いではなく、関税がらみの話だったのだ。
 当時のアメリカで、果物を輸入する際には無税だったのに、野菜には税金がかけられていたのである。
 最高裁の下した判決は「野菜」だった。
 『トマトは野菜畑で育てられていて、他の野菜と同じようにスープに入っているから野菜である』というのがその理由で、アメリカでは、今日でもトマトは茎につく実であることから植物学的には果物だが、法律的には野菜であるということになっているそうだ。
 わが国では、草本性のものが野菜であり、木本性のものが果物というのが、一般的な理解である。平たく言えば、木に成るかならないかで区別している。だから、リンゴ・ナシ・ミカン・モモ・カキなどは果物で、スイカ・メロン・イチゴなどは野菜である(果実的野菜という言い方もある)。
 バナナの木というのは、実は巨大な草なのだが、農水省の定義では果物ということになっている。ややこしいが、「一年生草本類から収穫される果実」が野菜、「多年生作物などの樹木から収穫される果実」が果物で、バナナは草本ながら多年生なので果物ということらしい。
 果物であるリンゴ・ナシ、野菜であるイチゴはともにバラ科の植物だが他の果実、たとえばミカンなどの実は子房が肥大したものであることと違い、これらバラ科の果物は、花の付け根にある「花托」が肥大したものである。
 たとえばリンゴやナシの場合、われわれが食べ残す固い芯の部分が本当の果実で、種を守っている。イチゴの場合、本当の果実は表面に散らばっている黒いツブツブで、そのなかにひとつずつ種が入っている。
 さて、イチゴがオランダイチゴ属なのに対してヘビイチゴ・ヤブヘビイチゴは同じバラ科ながらキジムシロ属の多年生植物である。
 別にヘビが食べるわけではない。ヘビがいそうな場所に生える植物なのでその名がついたものだろう(ついでながら、熊がいそうな場所に生えるのがクマガイソウだというジョークがある)。
 ヘビイチゴ類は、イチゴと違って(食べて食べられないことはないのだが)味もそっけもないという。
 2002年に出た「柳宗民の雑草ノオト」という本の中に、著者が若い頃、上州赤城山で植物を調べていた時に楽しみにしていたのが、シロバナノヘビイチゴを摘んで食べることだったと書いてある。いい香りがして、なかなかに旨いものであったそうだ。
 いったいどんな香りがして、どんな味がするのだろうか?いまでも上州に行けば、群生を見ることができるのだろうか?
 木になるものではないけれども、キになっているのである。
  N田さん

ヘビイチゴ.jpg
ヘビイチゴ。提供:「写真素材足成」http://www.ashinari.com

コメント(0) 

ナス科の呪い -アトリエN- [アトリエN]

 一富士二鷹三なすび。初夢に見ると縁起がいいということだが、富士と鷹となすびとは妙な取り合わせだな、と思いながらも軽くスルーして来た。ところがこれは徳川家康が隠居所とした駿河の国で、高いものを順に並べたものなのだそうだ。
 富士は、当然日本一の霊峰・富士山。
 鷹は、空を飛ぶ鳥の鷹ではなく、愛鷹山のことで、この2者が標高の高さを意味するのに対し、三番目のなすびは値の高さである。
 温暖な気候に加え、馬糞や麻屑などの発酵熱で加温し、油紙障子で株を囲うなどの工夫で、駿河の国では夏野菜のなすびが、正月に初成りを収穫できるようになった。一個一両で取引されるほどの高級品で、大名の賄賂に使われたこともあったという。
 ナス科の植物には毒をもつものが多い。ジャガイモのソラニンは時として死亡事故を起こすこともあるし、タバコのニコチンも当然強毒である。トマトにもトマチンという毒性物質があり、熟した赤い実を食べるぶんには問題は起きないが、茎や葉には実の2400倍以上のトマチンが含まれていて、いまはやりの創作料理などにこれを使うのはやめたほうがよさそうだ。また、チョウセンアサガオには意識障害や幻覚作用を惹き起こすスコポラミンが含まれている。
 牧野富太郎博士が命名した「わるなすび」は全草有毒で、そのうえ茎にも葉にも鋭い棘を持つという根性悪である。欧米では「悪魔のトマト」と呼ばれてもいる(そういえばワルナスビは、ミニトマトにそっくりな実をつける)。
 『秋ナスは嫁に喰わすな』という諺は、嫁に贅沢をさせるなという意味ではなく、跡継ぎを宿しているかもしれない嫁の腹を壊すようなことは避けろ、という意味なのだと以前聴いたことがあるが、ナス・ジャガイモ・ピーマン・トマト・トウガラシなど、これらナス科の植物は、常食していると乾癬や関節炎の原因にもなるという。ナス科の野菜のほとんどが南米原産のもので、他の世界に広まってから、まだ500年ほどしか経っていない。きちんと消化できない人がいても不思議ではないのだろう。
 しかし、それよりも。
 白人の新大陸への到達によって旧大陸にもたらされたナス科の植物たちだが、その背後にはすさまじい悲劇が横たわっている。
 スペイン人をはじめとする白人たちが持ち込んだ天然痘や結核やインフルエンザに加えて、徹底的な略奪や大量虐殺によって、新大陸先住民たちの人口は、わずか半世紀の間に9割近くも減少したそうである。キリスト教徒でもなく白人でもない原住民(インディヘナ)は人間ではなく、家畜のようなものだという身勝手な解釈のもとに、その肉を売り買いする市場まで開かれていたというのだ。
 ナス科の植物たちの持つ毒性物質は、恨みを呑んで滅んで行った彼ら先住民たちの呪いの産物なのかもしれない。
 蛇足:南米のペルーには地上絵で有名なナスカ地方がありますが、この話にはなんの関係もありません。
  N田さん

ナス.jpg
ナス。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

コメント(0) 

箆棒め! -アトリエN- [アトリエN]

 私が十歳前後の頃だから、そんなに昔の話ではない(かどうかは、その人の見方による)。母親は古くなったご飯をつぶして糊を作り、浴衣などを漬けて干していた。私も糊づくりを手伝った記憶がボンヤリとある。
 いまでは糊と言えば生活用品売り場か文房具売り場で買うものというのが当たり前のことになっているし、その原料にしても化学的に合成されたものが大半だろうが、ついこの間までは各家庭で作っていたのであって、現在の姿が当たり前であるとは言い切れないのではないだろうか。
 ご飯粒をひとつひとつ丁寧につぶさなければ、良い糊は作れない。そのために箆棒というものが使われた。
 てやんでえ、べらぼうめ!という江戸っ子の啖呵は、何言ってやがる、この穀つぶしめ、という意味なのだが、箆棒(へらぼう)め!では迫力不足で力が抜ける。そこでベラボウとわざわざ濁らせたのだそうだ。
 イネは南部インドで生まれた植物である。
 それに対して、小麦は古代メソポタミア地方で生まれた。
 イネは大量の水と、高気温を必要とするので、冷涼でしかも雨量の少ないヨーロッパではなかなか育たない。
 だからヨーロッパでは主に麦が栽培されている。
 日本の農村は、ごちゃごちゃとしている。
 猫の額ほどの田圃が、川や沼や茅葺屋根の間に点在し、時には山を削って棚田が広がる。
 それに対してヨーロッパの麦畑は、小さな農家を点在しながら、果てしなく広がる。
 しかし、見方を変えれば、この二つの植物の生産性の差が風景の違いとなっている。
 化学肥料の発達した現代において、小麦は播いた種の20倍前後の収量であるのに対して、コメは110倍以上の収量を誇る。だから、同じ人口(まさにヒトの口)を養うにしても、小麦は広大な農地が必要となり、米は狭い農地でも、たくさんの人の食をよく支えるのだ、
 作物には、連作障害が避けられない。農地で作物を栽培することによって、土中の栄養分が失われ、土地は痩せていく。化学肥料を使えば、水分の蒸発につれてミネラルが土地の表面に上昇し蓄積されてくる(これを塩類集積という)。また、あらゆる植物は根から他の植物の生育を阻害する物質を出し、これも土の中に溜まっていく。
 農業による地力の低下や塩類集積によって、世界中で毎年500万ヘクタール以上もの農地が砂漠化していると云われるが、これは日本の全農地面積を超えているのだ。
 連作障害のために、麦は毎年作ることが出来ない。ただでさえ土が痩せているヨーロッパでは、なおさらである。
 コメも同じことだろうと思われるかもしれないが、田に張られた水が山からの養分を補給し、古い塩類や阻害物質を洗い流し、病害虫の発生も抑える。水田というのは、実に見事なシステムなのである。
 我が国のすべての水路を一本につなげれば地球を十周以上もするというが、この水路を維持管理する労力は並大抵のものではない。
 稲作の導入以来、我が国のお百姓たちは連綿として、すべての田圃に水をいきわたらせるために果てしない労力を注いできた。日本の水田を守れというのは簡単だが、水路の雑草やごみを取り除き、畔を補修するという過酷な労働を、これからは誰が背負ってくれるのか?豊かさに慣れた現代の若者にそれを期待するのは、無理というものだろう。
 それならば、移民に頼るしかないのかもしれないが、そうなった暁には、彼らが初めて覚える日本の啖呵は「てやんでえ、ベラボウめ」かも知れない。
  N田さん

竹へら.jpg
竹へら
写真提供:ネットストア「モノタロウ」https://www.monotaro.com

コメント(0) 

不許葷酒入山門 -アトリエN- [アトリエN]

 アサツキ・ニラ・ネギ・ニンニク・ラッキョウの五種の野菜は、五葷と呼ばれている。
五つの臭い食草という意味なのだが、仏教や道教や神道には、この五葷を口にしてはならないという戒律がある。修業の場が臭くなるという以上に、これらの野草がもたらす強壮作用が「気」を乱し、修業を妨げるということが大きな理由である。
 禅宗の寺の戒壇石には『不許葷酒入山門』という言葉が刻まれている。
 葷酒山門に入るを許さず・と読む。
 アサツキもニラもネギもニンニクもラッキョウも、そしてアギもギョウジャニンニクも、その臭いの元は硫化アリル(アリシン)である。この硫化アリルはビタミンB1の吸収を助け、血液をサラサラにして、疲労回復・強壮・抗がん作用があり、またアトピーやぜんそくにも卓効があると言われている。
 しかし、このあまりにも強い薬効作用があだとなって、心の静謐を乱してしまうらしい。
 要するにその強壮パワーが、あらぬ妄想を呼び覚ましてしまうのだ。
 神道の世界では、五葷について次のように言い伝えられている。
 アサツキを食べると、肺臓が傷つき、怒りが湧きあがる。
 ニラを食せば、肝臓が傷つき、哀しみを呼び起こす。
 ネギは腎臓を傷めて仁を追いやり、自己中心の心を招く。
 ニンニクは心臓を傷つけ、礼を滅し、楽を求める心を呼び覚ます。
 ラッキョウは脾臓に作用して、人間の心の奥に潜む、慾を露わにする。
 現代流行の西洋医学でないからといって、昔から神道の世界で伝えられてきたことが、全くの迷信であると決めつけることは出来ないのではあるまいか、と私は思う。
 閑話休題(ところで)。 
 『不許葷酒入山門』
 極め付きに自分に甘いワタクシは、とても修行の場に入ることは出来そうもない。
 が、しかし。
 「葷は許さず、酒は山門に入れ」と読み替えることが出来るならば、こんな私でもあるいは、と、淡い期待を抱いているのだ。
  N田さん

不許葷酒入山門.jpg
不許葷酒入山門

コメント(0)