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みどりと水と子ども [プレイバック]

わたしは、森とみどりに関わって30 年、水と関わって20 年。
ずいぶんと時間が過ぎたものだと思う。近年はこれに生物多様性の視点が加わってきた。
この内の約半分が多摩市地域での関わりだ。

多摩市の自然環境に目を向けたとき、市境付近とかつての谷戸部分の斜面地に僅かではあるが残る在来樹林地と、多摩川にそそぐ二つの河川の存在は、大変大切で、黙って見過ごせないものと感じている。多摩ニュータウンは造成された公園、緑地、街路樹が30年から45年もたち、その緑の量は大変豊かになり、文字通りガーデンシティを形成している。ベネッセのビルの最上部付近から見下ろした時、まさにそれを実感した。街が緑の中に埋もれるように見える。
ここに発生する緑の保全管理の問題は限りなくあるが、ここでは触れないでおく。

河川も改修が進み親水化に向かっているところもあり、古い三面護岸部分も徐々に自然性を高めつつある。だが草や木や土の堆積に向けられる一般市民の懐疑的視線は拭い去ることができないでいる。40年前にも遡る河川の汚濁からイメージが抜けきらないでいるからだ。
しかし、これらの環境を活かした子どもたちの関わりが、近年特にその重要性を増して語られことが多いと思うのだ。

子どもたちの発育にとって、自然環境の中での自由な行動、遊びが大切な意味を持っている。体力をつけ、知恵と知識を養い、情緒を深め、協調性・社会性を育む。これらをすべて含んでいるのが、まさに自然環境の中の活動であり遊びだからだ。私たちが体験的にそれを感じるだけでなく、子どもの発育を研究する研究者からも盛んに指摘されるところだ。

ここ数十年の子どもたちの様子を見るにつけ、この自然との関わりがかなり欠落しているように思う。学校教育もそうだが、何より家庭での、そして住んでいる地域での子どもへの対応があまりにも脱自然性にはまり込んでしまっていないだろうか。子どもの自発性に任せた自由な遊びこそ特に欠かせないものと思う。
冒頭に触れたように、多摩市周辺の自然環境状況は作られたものが多いが、時間とともに豊かな自然性をもたらしてくれている。幸い、「グリーンボランティア」の活動は樹林環境の保全を目的にしながらも、「水辺の楽校」は水辺に関わる体験と生き物観察に重点を置きながらも、地域の学校や地域社会に自然を開放する動きとして活発になりつつある。

学校では、学校林や小規模の樹林地を活用した遊びと実践活動、学校水田では伝統的な食文化と生活文化を体験し、農園ではエディブル・ガーデンと呼んだりして野菜を育てながら食文化を学んでいる。どの場合でも近隣に住んでいる方々のサポート無しでは実行はできない。また学校外へ出て緑地や河川での自然体験の遊びや学習もたびたび行われるようになったが、これも地域の人たちのサポートで成り立っている。
今、私たちは、これらの流れをより進めたいと思う。そして、子どもたちの未来・すなわち私たちの住む、暮らす健全な未来社会を確保していかなければならない。そうするために、水と緑の活動を継続推進していく心構えをしっかりと持つ必要がある。そのことをもう一度確認しておきたいと思う。

多摩市グリーンボランティア連絡会副代表/森林フォーラムの会/なな山緑地の会/水辺の楽校/よみがえれ大栗川を楽しむ会等で活躍中
   相田さん
   多摩市グリーンボランティア通信「グリーンサークル」23号(2016年7月15日)より

大栗川親子でガサガサ.png
大栗川親子でガサガサ

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なな山緑地自然観察会

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植物標本製作活動を終えて [プレイバック]

なな山緑地の会では、2016年4月に「なな山緑地植物標本プロジェクト」を立ち上げました。

この活動は、首都大学東京牧野標本館の加藤英寿先生の指導のもと、なな山緑地に生育する全維管束植物の標本を作成し、牧野標本館へ寄贈することをめざして行われたもので、同時にこれらの標本は東京都植物誌の作成に寄与することになります。
最初は加藤先生になな山へ来ていただき、植物標本作りの基本を習い、12 人のメンバーで始めました。

美しい標本を作るためには花の最盛期に採取するタイミングが大切でした。実際は、他の植物にからまっているつる性の植物を数人がかりでほどいたり、ホオノキの花は時期がずれると雄しべが落ちてしまうので、好機を見計らって、高い木の上で高枝ばさみを使って花の咲いている枝を採取したり、ヒガンバナは雨の降りしきるなか、どろんこになって球根を掘りあげたりと体を張っての作業でした。
しかし根を掘り上げてみると、ランの根はどれも立派。サイハイランはイモのような偽球茎がぽろぽろと繋がっており、タマノカンアオイの根はどこまでも深く、オオバジャノヒゲには膨らんだ塊根がいくつもついています。またシダは木のように硬い根茎でした。様々な根を掘り上げてみて、植物は根があって完成形であることを改めて認識させられました。

採取した植物を家に持ち帰ってからは、厚みのある根や花は、間に新聞紙を詰め込んだり、スポンジを挟んだりして10kgの重みが均等にかかるように重石を載せます。新聞紙を毎日取り替えるのですが、花数が多いサクラや柔らかな若葉の多い植物はかなり手のかかるくせ者でした。それでも皆、夢中でした。新聞紙の間に和紙を差し入れ、和紙の取り替えに朝までかかってしまった人、アオキの乾燥に3カ月かかってっしまった人、様々な体験がありましたが、新聞紙半分(ほぼA3)に美しく収める自分なりの方法を編み出し、苦労を楽しんでいるようでもありました。植物と向き合っていると、どの植物にも大きな力を感じ、標本が出来上がってみると、今まで見過ごしていた草花がこんなに美しいものかと感動をし、手応えを感じることの出来た活動でした。
このプロジェクトは2017年に終了しました。

寄贈点数は382点、雌株、雄株があるので種類としては木本126種、草本244種、合計370種でした。発見できない植物があるので、なな山の植物全体の90%くらいは収集できたのではないかと思います。採取はしたもののシダをはじめイネ科、カヤツリグサ科など同定できない植物は長池公園園長の内野秀重氏にご協力をお願いし無事完了することができました。

この活動で牧野標本館へ寄贈した標本382点のうちの50点を展示する植物標本展を、牧野標本館との共催で開催することになりました。
思わぬ展開でした。

●明日へ繋ぐ里山の記録 ─ 多摩市なな山緑地の植物標本展
11月7日(水)~18日(日)
牧野標本館 別館TMUギャラリー
   N原さん
   多摩市グリーンボランティア通信「グリーンサークル」32号(2018年11月1日)より

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一本梯子に登ってスギの花を採取

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アカネの根を掘る

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多摩市の雑木林・みどりの活用 [プレイバック]

はじめに
多摩市内の雑木林の活動が、大きな働きとなって展開しつつあり、今後もさらに広がりを見せる気配も感じられます。
その中で、活動によって発生する木材の利・活用をどう進めるかは、大切な課題となっているように思います。
そこで、私の所属する「なな山緑地の会」の活動に照らして、「みどりの活用」に焦点を当ててみることにします。
木材用の樹木が発生するのは、①樹木の健全育成にため・景観保全のための間伐によるもの、②枯損木・倒木の発生によるもの、③枯損木・倒木になる恐れのあるもの・落枝の恐れのあるものの伐採のいずれかと考えます。
木材の活用例として、階段の段木とその固定杭、土留め、休憩用の長テーブルや椅子、おもちゃ、スプーンや皿、薪、炭材、チップ材等、その用途は限りがありません。

どんな樹種があるか
活動の中では、あくまで発生材であって、木材として選木するわけではありません。そのため、手に入る樹種にも限りがあります。手に入りやすい樹としては、コナラ・クヌギ・ヤマザクラ・ケヤキ・シラカシ・ヒノキ・ヤマグワ・ヌルデ、針葉樹のスギ・ヒノキ・アカマツ、などが主なものです。針葉樹は比較的柔らかく、木目も美しく多用途に使いやすい。広葉樹は個性的な木目があり一般的には堅い。コナラ、ヤマザクラなどは最も多く発生する材であろうと思いますが、放置しておくとすぐに虫が入り腐食が進んでしまうようです。また、ケヤキ・シラカシは最も堅い材料だと言えます。堅い材は、半生木状態の時に、ある程度加工を進めておくと作業が楽になります。ただし、乾燥後のひび割れの入り方など想定しておくことが大切です。ヌルデは肌の白さ、削りやすさなどが削り花などに適しています。

何をどうするか、そのヒントを探す
先進活動地を見る機会があれば、その中から見つけ出せるものは多いはずです。地方や林業地を訪ねられれば、地元の林や木工物産にヒントを探し、多摩中央公園・日比谷公園・代々木公園などで開催される木工・木材などの展示販売のイベントでは、じっくりと見聞きして、その用途や作り方をしっかり頭に刻み込むことです。そうして自らの活動場所に於いて、お手本にしたり応用したり製作実施してみることです。これは大いにお勧めします。

さてその先は
作る本人は、それを楽しみ、自己満足でもよい、自画自賛する。そして、雑木林の活動計画の中に木の利用を盛り込み、会員・近隣一般人・小中学校や近隣の子供たちに、その楽しみを伝えていく。そうすることにより、作る技術は向上し、大いなるやりがいに繋がっていくでしょう。
ここ数年、樹木のほかに、アズマネザサの利活用を盛んに進めています。多摩のめかいづくりは最も歴史のあるものですが、現在は、なな山緑地のオリジナルとして、シノダケ・ヒンメリづくりの人気がじわじわ高まっています。
農園の野菜の支柱としての利用が復活しつつあり、林床の野草の目印杭や保護柵としても充分利用できます。また、すだれ状のもの、鍋敷き、コースター、展示などのディスプレイにも活用できます。遊びとして、しの笛、弓矢も子供たちに人気です。
多摩のみどりの活用を、大いに促進してゆくことが、雑木林活動のより良い発展につながることを確信しています。
   A田さん
   多摩市グリーンボランティア通信「グリーンサークル」31号(2018年8月22日)より

スプーンやフォーク.png
スプーンやフォーク

木の鯉のぼり.png
木の鯉のぼり

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長テーブル

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雑木林からの恵 [プレイバック]

雑木林は何時の頃からか、里山(山里を逆さにしたもの)と呼ばれるようになりました。

今日、自然環境を守る事が必要と誰もが訴える時代となり、益々「なな山緑地の会」の活動の役割が大きくなって来ていると感じます。又「市民と自冶体」が共に協力し合う、協働の時代です。雑木林とは、先人たち(農家)が築き上げた「自然との共生」であり、自然界と人間社会の「もちつ、もたれつ」の関係が築かれて今日に至ります。

放置された雑木林は原始の姿に400年くらいで戻ります。しかし手入れをした雑木林の植生は、コナラ・クヌギ等の広葉樹と工ビネ・キンラン・シュンランなどの代表的な植物が現在まで生き延びて来ています。毎年手入れをする事で、春になると新緑が芽を出し草花が開花し、一年を通し雑木林には季節ごとの顔があります。初夏には子供達が喜ぶカプトムシが堆肥の中から巣立っていきます。

我が家は、農家で里山の萌芽更新からクズ掃きシイタケ栽培として里山を維持してきました。薪で、ご飯・風呂を沸かし、落ち葉で堆肥を作り畑の土づくりをして来ました。
田畑があるから里山が有るのではなく、里山があるから、田畑があるのです。

平成13年に相続が起こり、翌年の6月に多摩市に1 ha寄付し、「和田緑地保全の森」として都市計画決定されました。

何故、相続人である私が雑木林を寄付をしてまで保全を優先する決断をしたのは、数百年経過している雑木林を造成開発するのは、今の建設技術では容易なことですが、一旦壊したものは、今の姿に復元する時間は300年400年の時が掛かります。

現地は南傾斜面のため、前から見ると7階建て後ろから見ると3階建て等の共同住宅の建物が計画可能でした。金儲けをする為に開発を行えば、今日優雅な生活が出来ていたと 思います。しかし、先人達が手入れをしてきた雑木林を守ることは、我々子孫の為には欠かすことのできない緑地であることを重視しました。

当時多摩市の都議会議員新井美佐子氏に色々と助言を頂きましたが、雑木林を保全する仕組みは何も無く、寄付行為のみが残す手段でした。

食について安心安全などの言葉を良く耳にしますが、何を持って安心安全なのかを、一人一人が自問自答することが必要です。旬の野菜を食する事が我々の身体には一番良いことは、誰もが理解できていると思います。スーパーでは「春夏秋冬」全ての野菜が全てショーケースに陳列して有り、食べたい野菜は何でも手に入る時代ですが、地球温暖化の視点から見ると、ビニールハウスで作る冬のキュウリはどれだけの温室効果ガスを発生させているのでしょうか。

近代化が進む農家は、雑木林の落葉広葉樹の落ち葉からの堆肥作りは忘れ去られています。また、農家で相続がおこると、田畑は生産緑地を解除し開発されます。相続税を国に納めるためです。相続時は、「田畑・雑木林も含め全て宅地並み課税」で評価されますが、農地は納税猶予があり、相続人が農業を30年間続けることが条件です。現金収入が少ない副都心の農家は皆さん口を揃えて「子供に農業は継いでもらいたく無い」と断言します。
今日、地産地消を市民の皆さんと共に考える時期に来ています。
なな山緑地の会は、雑木林が寄付後市と委託管理契約を締結し現在に至ります。雑木林の環境保護活動の他、畑を耕作し野菜を育て収穫祭を行い参加している誰もが里山の恵みを肌で感じて、五感を通し里山の恵みを得られることを大切にしています。

特に子供達には雑木林の中で虫取り等の遊びを体験することで、自然環境の心を学ぶことが出来ます。会の発足以来、企業からの助成金を受け、活動に必要な道具を購入した とで、作業効率がアップしております。これからも助成金が受けられる補償は何も無い中で、今後は雑本林からの産物で対価を得ること。又当会が自立できる仕組み作り及び、地域を巻き込み、人を育て里山保全を行う事が急務です。
以上
   S崎さん    2012年10月28日

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なな山緑地の会のこれから - 「なな山緑地の会10年の歩み」から [プレイバック]

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

年初の挨拶は、8年前発行「なな山緑地の会10年の歩み」からプレイバックです。
昨年降って湧いたようなさまざまな出来事について8年前に語られていました。

***** ここから *****

和田、百草地区は宅地開発が進み、緑が少なくなってきている。貴重な緑を守るため、私たちはこれまで微力を尽くしてきた。さらに新たに活動エリアとなった開発は免れたものの永年放置されてきた雑木林を、整備された里山として復活させるために、植物、小動物、鳥類、昆虫類の生態が豊かな雑木林へと誘導し、それを周辺住民や子どもたちの自然学習の場として提供することに力を尽したい。

これらの活動によって、自然と人間が共生できる雑木林の環境を次世代に継承することができる。私たちは先祖から受け継いだ宝物を、後世に伝えていく中継ランナーのような役目を今、担っている。会員の平均年齢は、決して若いとは言えない状況である。これからは若い会員を増やして、この活動が末永く続けられるよう、さらなる努力をしていきたい。(完)
   平成23年12月 「なな山緑地の会10年の歩み」から一部抜粋

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なな山緑地で活動するということ [プレイバック]

なな山緑地とはこんなところ
多摩市の最も北の部分。2.5ヘクタール強の広さで、南西へと延びる斜面地の北端だ。
古くからの雑木林は多摩市にはほとんど無いが、このような斜面地や市境近くにわずかではあるが残っている。府中市に住む元の山主さんが遺産相続をきっかけに昔ながらの保全を望んで多摩市に約1ヘクタール寄付された。その後、隣接の雑木林を二区画多摩市が買い足して現在の広さとなっている。

緑地を西の山、中の山、東の山と分けて呼んでいるが、その特徴をはっきりということができる。

西の山は落葉広葉樹の林だ。コナラが大勢を占めヤマザクラ・クヌギ・シデの仲間、ケヤキ・マルバアオダモが競って高木となり、林床はキンラン・ギンラン・エビネ・サイハイラン・ヤマユリ等が四季を彩る。中の山は常緑広葉樹のヒサカキ・イヌツゲ・シラカシが優先して林床には草花は少ない。東の山は高木として落葉広葉樹が優先しているが、林床はアズマネザサ(シノダケ)に覆われ、太さ2cm、高さ5mに及ぶものもある。野生動物のタヌキとアナグマに同居させてもらっている。

雑木林の楽しみ方
作業の道づくりから始まり、枯損木・倒木の片づけ、スギ・ヒノキの間伐・枝打ち、林床の草刈、落葉掃き、ヤマザクラ・コナラの不整形木、混在木の伐採、シイタケ・ナメコの菌打等が毎年の作業サイクルとなっている。発生材はすべて緑地内で処理しており、材料としての活用に心掛けている。たとえば、バス通り歩道側の柵。崩れかかる崖地の土留め。作業の道の側木。階段の土留めと杭。休憩用テーブル・椅子・ベンチ。樹木名板。落葉囲いと堆肥づくり。キノコのホダギ。木工材(おもちゃ・道具・小物調理具)、めかい材。薪。樹木の苗づくり。等々あらゆる可能性を追求している。

四季それぞれの表情
〈春〉まさに「山笑う」だ。樹木の芽吹きとヤマザクラの花、日ごとに色合いを変えてゆき深まるみどり。林床に年々数を増す「スプリング・エフェメラル」。
〈夏〉「山滴る」。濃い緑と木立を抜けるそよ風は緑陰の楽園を作っている。昨今、蚊とハチに少々悩まされている。
〈秋〉「山装う」。赤、青、紫、オレンジ、ピンク、茶、白と草木の実と花がなな山を飾る。
〈冬〉「山眠る」。木立は葉を落としひと時の眠りに入る。林床は赤茶に染まる落葉のじゅうたんか掛け布団か。常緑の緑も鮮やかさを捨てて休みに入っている。
こんな林に散策できるささやかな道が程よく配置されている。

これからのなな山緑地
今後のなな山緑地を考えたとき、まずは若返りの時期を何時頃にするか、どのようにするかは大切なことだ。そして、今取り掛かり始めた「めかいづくり」をより本格化すること、アズマネザサの育成の最適な方法を見つけ出すこと。これは第二に考えねばならない。雑木林木工をより盛んにすることも考えていきたい。
「なな山緑地」は、人と緑と生き物の息吹をより高めて、次の世代に引き継いでいくことこそが、私たちに求められている役割なのだと考えている。
   A田さん
   多摩市グリーンボランティア通信「グリーンサークル」17号(2014年12月19日)より

なな山の春.png
なな山の春

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なな山の夏

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なな山の秋

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なな山の冬

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活動の様子(ホダギを運ぶ)

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雑木林の活動と作業道具 [プレイバック]

現在多摩市内には、雑木林の保全育成のために、グリーンボランティア活動を行っている団体が幾つもあります。活動場所は、公園内或いは昔からの雑木林(里山)で、樹木の手入れ・草刈りを中心に活動を行っています。

雑木林は、かつて防風林であったり、薪や炭を作るなど日常生活に密着したものも多く、現在とは異なった状況です。雑木林に限らず、森林は手入れをしないと放置林となり、薄暗くなって雑草すら生えず、植物の根により保持されている斜面の土は雨により流されてしまい、ゆるい地盤では木も倒れ、風通しの悪さから病気や立ち枯れてしまうことにもなります。一方、若い木には勢いがあり、当然より多くのCO2を吸収し、温暖化防止に一役貢献しています。雑木林を保全育成し若返らせることは、とても意味があると思います。

グリーンボランティアの団体が、市内各地区で継続的に活動し、楽しみながら雑木林や緑地の手入れや木材・竹の有効活用に取り組んでいます。以前、東京西部の桧原村・奥多摩の荒れた人工林の手入れを手伝っていましたが、現在は地元多摩市内、和田の「ななやま緑地の会」と豊ヶ丘の杜の「フレンドツリーサポーターズ」を中心に活動しています。雑木林にはコナラ・ヤマザクラ等の広葉樹や様々な草花があり、保全育成する上で病気や日照不足を補うために樹木の伐採をして間引きをします。発生したヤマザクラをそのまま放置するのが偲び難く、広場の休憩用テーブル・ベンチの材料に再利用しようと計画しました。丸太からテーブルにする過程(伐採・製材・運搬・加工)の中で運搬が特に難点でした。伐採から半年乾燥させた丸太を、簡易製材機とチェンソーで長手方向に分割して半割り丸太にし、ワイヤー索引機などでキャタピラ式運搬車に載せ、ふもとの広場まで降ろしました。半割り丸太とはいえ直径40~50cm、長さ2.7mで重さは100kg超ですから、人力のリヤカーでは無理でした。かといって動力機械があれば良いというものでもなく、運搬車へ積み込むのも運ぶのも、結局仲間と知恵を出し合って道具を駆使してこそ問題が解決出来たと思います。広場へ降ろした材は、鉈や皮むきヘラで硬い皮を剥がし、チェンソーで加工して同じヤマザクラの丸太脚と合体させ、ヤマザクラのテーブルが完成しました。

皆で考え、力を合わせて得た感動を共有するのは格別のものがあります。雑木林の活動には、山の手入れや草刈りの他に、こういった楽しみもあります。皆さんも、自分の体と相談しながら、自然の中で一緒に汗を流してみませんか。
   S田さん
   多摩市グリーンボランティア通信「グリーンサークル」28号(2017年10月20日)より

S田さん:1994年東京都桧原村でスギ・ヒノキの伐採などの森林ボランティアを始め、素人の技術に限界を感じ、あきる野の林業家に従事。山仕事の補助作業と引換えに技術指導を受ける。現在多摩市グリーンボランティア講座講師。なな山緑地の会他複数の会に籍を置く週末版木こり。

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ヤマザクラのテーブル

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ヤマザクラの伐採

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完成したテーブルとイス

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S田さん

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樹木調査奮闘記 - なな山だより [プレイバック]

2014年11月から始まった樹木総量調査は、正式には「多摩市公共緑地樹木総量把握調査業務委託」であるが、2016年1月末にすべてを修了しました。
午前・午後に分けて数えると合わせて45回に及ぶ大仕事でした。(午前1回、午後1回の計算としています)
胸高(1.2mの高さ)直径5cm以上、樹高2m以上が調査対象で総本数2,032本を数えました。

調査に参加した人は会員29人で延べ総数は224人です。実際になな山緑地の会で活動している会員はおよそ35人ですから83%の人が汗を流してくれたことになります。そして最後にはN原会員がデータの整理・地図上にプロットの労を担ってくれました。思い返してみると、皆さんほんとによくやってくれたと感謝いっぱいです。

平坦で足元のすっきりした調査し易いところは気持ちよく、楽しく調査は進みましたが、これは限られた場所だけで、急斜面やアズマネザサの藪に阻まれ立往生したこともたびたびでした。少し細い道でも付けてから始めればよかったかと思うことも多々ありました。
冬場の寒い時でも大汗をかくほどの奮闘が続きました。全身汗と藪のほこりにまみれたり、腰につけたナタ・ノコ・剪定バサミをヤブに取られて探し回ったり、蚊の出るころは腰につけた蚊取り線香を藪の中で見失い、必死で後戻り捜査をしたり。こんなことの繰り返しが続きました。
夏場の時期は、暑さや、蜂やその他の虫害を考え、この作業は厳しいものになることが予想されました。そこで、これを避けるため6月~9月の間は作業を中断しました。
5mの箱尺(スタッフ)を使っての樹高と枝張り測量、巻き尺に直径を換算した目盛りを書き込み胸高直径を測り、1本1本ナンバーをつけ、調査済みの黄色のテープを巻きます。そして調査票に詳細を書き込み、分割した拡大地図に樹木位置を書き込んでゆきました。後半の10回ぐらいは各々の樹木に接近しずらい場所が残り、藪に阻まれ箱尺の持ち込みもできず、これまでに培った眼力と感と気合いで樹高・枝張りを目測で計上していきました。既に皆、その域に達していたのでした。

今思うと、気の遠くなるような作業をとにかくも、やり遂げました。
この調査の成果を少し振り返ってみたいと思います。
樹木の種類はこれまでに84種を数えていましたが、今回の調査対象では53種類でした。その中で一本立ちに限って最も大きかったものは中の山のヤマザクラで直径70cmでした。直径50cmを超えるものは、コナラ・クヌギ・ヤマザクラ・ケヤキ・スギ・アカマツなど21本ありました。
全体を見ると、種類別では ヒサカキ610本 コナラ437本 ヒノキ152本 エゴノキ120本 ヤマザクラ117本 スギ111本 シラカシ108本 クヌギ90本であり、この8種類以外は多くても数10本程度です。
この調査結果をどう活用していくか、今後何年を目途に更新調査を行うかなど課題がたくさんありますが、今後に残る貴重な資料となることを期待しています。 
    A田さん 「なな山だより」37号より

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計画の説明

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樹高を測る

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テープを巻く

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樹木調査

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樹木調査

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樹木調査

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樹木調査

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総量調査

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樹木調査

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樹木調査(中の山)

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樹木調査の準備

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樹木調査(中の山奥へ)

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樹木調査

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樹木調査

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樹木調査最強メンバー

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樹木調査

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樹木調査

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※写真は「なな山だより」掲載のものに追加しています。

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なな山緑地の樹木たち - なな山だより [プレイバック]

なな山緑地は、里山と呼ばれる雑木林を僅かではあるが引き継いでいる場所です。そこは昔、単に「やま」と呼ばれていて、薪や炭の材を切り出し、堆肥作りの落ち葉掃きを行っていました。そのために、下草は常に刈り取られ、樹木は直径10センチ前後で切り払われていました。切り株からは若木が芽を出し、何本かを残し世代交代が何代にもわたって繰り返し続けられていました。切られた材は、キノコ栽培のホダギとしても使われ、キノコや野草などの食材も「やま」から供給されました。このような林の循環の中で林床に芽生えた草花には、個性的なものが多く、今では珍しくなった品種も数多く見られます。

◆樹木の種類は約67種
そんな雑木林を、人手を加え維持管理していこうという活動に、いま私たちが取り組みはじめたところです。
なな山緑地は、1ヘクタール程の広さにいろいろな植生が入っていて興味の尽きない場所です。
植生は大きく二つに分けられます。 一つは、落葉広葉樹が主であるいわゆる雑木林であり、もう一つはスギ、ヒノキが植林された針葉樹の林です。それぞれ林床の植生も対照的であり面白い対比を見せています。
樹木の種類は多く、判っただけでも67種類を数え、その一本一本の生い立ちに思いを馳せると、どれにもいとしさが感じられます。この辺りの雑木林の代表的な樹種は、クヌギ、コナラですが、これらは、薪炭材として、江戸時代中ごろから集中的に育てられました。本来の潜在自然植生(潜在的にこの地に生育する植生)は、シイ、カシ、タブなどの常緑の広葉樹といわれています。人手を入れずに放置しておくと雑木林の樹木はこれらの樹種に置き換わっていきます。昔から百年以上続いているいわゆる鎮守の森のシイ、カシの古木からそのことをうかがい知ることができます。

◆なな山にはこんな木が…
なな山の雑木林は、ここ40年位の間、一部は里山として使われてきましたが、大部分は人手が加えられずに過ぎたようで、落葉広葉樹が大変大きくなり、常緑広葉樹のシラカシ、アラカシ、イヌツゲ、ヒサカキ、クスノキ、タブノキが見られるようになっています。大径木となった落葉広葉樹には、クヌギ、コナラのほかに、ヤマザクラ、ケヤキ、イヌシデ、クマシデ、ホウノキ、エゴノキ、ウラゲエンコウカエデなどがあります。また、その他の特徴のある落葉広葉樹をあげると、高木では アオハダ、サワフタギ、マルバアオダモ、ハリギリ、コブシ、マユミ、ナツハゼ、ネジキ、カキ、ムクノキ、エノキ、ヤマグワ、クリ、ウワミズザクラなどがあります。低木では、ムラサキシキブ、ヤブムラサキ、ヤマツツジ、ガマズミ、コバノガマズミ、マルバウツギ、ツクバネウツギ、ウグイスカグラ、クロモジ、ゴンズイ、リョウブ、イボタノキなどです。

◆雑木林と生態系
針葉樹の林は、40年以上前に植えられた部分と20年ほど前に植えられた部分があります。樹種はスギ、ヒノキとサワラも混じっています。今植えられている辺りは谷筋でやや湿り気のある所ですからスギに適していて、斜面のやや高いところはヒノキに適しているといえるでしょう。
木陰が多くやや湿り気のあるこの辺りは、下から生える木も草も落葉広葉樹の林とはまったく異なります。樹木は、アオキ、ヤツデ、カクレミノ、ネズミモチ、トウネズミモチ、ヒイラギナンテンなどの常緑広葉樹が多くあります。
これらは小鳥が実を運んだものや糞の中に混じった種から成長したものでしょう。ハリギリやコブシの芽生えも見られます。マンリョウが大変多く、木としては最小ともいえるヤブコウジはジュウリョウと呼ばれここでもよく見られます。そのほか、ツルグミ、ヤマコウバシ、サカキ、ヒイラギ、タラノキ、コウヤボウキ、クロマツ、アカマツ、アセビ、ニシキギ、ヌルデなどがあります。これからも、新たに見つかる樹木がまだまだある筈です。
雑木林の樹木たちは、人の手も借り、鳥や昆虫、微生物とも命を育むためのやり取りを繰り返し、春夏秋冬のサイクルで成長と世代交代を行っています。太陽と空気と水と土と多くの生き物とそして人との織りなす自然、私たちはこれを生態系と呼んでいます。細かく複雑な生態系の一部ではありますが、私たちの暮らしと雑木林の関わりは、その生態系の中で大変重要な役割を担っているのです。
   A田さん   「ななやまだより」3号(2006年4月)より

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里山寄付に至る経緯 [プレイバック]

            府中市在住 住﨑岩衛   平成15年(2003年)8月吉日
「里山保全」今この言葉を良く耳にするが、里山保全とは人間が人工的に造った公園ではなく、農家が農と里山を結び付けた点に有ることを理解しなければならない。

冬になると決まって父が農作業を休み多摩市の里山へ出かけ、雑本の萌芽更新とクズ掃きを毎年繰り返して雑木林を維持してきた。雑木は薪に、落ち葉は堆肥に。実家の営み全てにおいて「和田の山が源」であった。今の農家は高齢化が進み農薬、科学肥料に頼り、農家の基本である「土つくり」は忘れ去られている。畑があるから里山があるのではなく、里山があるから畑があるのだ。相続が発生すると農地は相続税猶予を受ける事が可能だが、おかしな事だが里山は宅地並みに評価される。今日、環境問題で里山の大切さが理解されていても、先祖が維持してきた士地を守る対策が無い。私は相続する里山を今後も維持できる仕組みがないものかと企業を辞め奮闘したが、寄付以外に里山保全する方法が見当たらず寄付に至った。
(市は緑の基本計画で網を掛けておきながら保全する仕組みが何一つとして手立てがなく、地主は寄付行為の諸費用まで全額全て負担した。)

里山寄付に当り渡辺市長と「亡き父が実施してきた雑木林の維持管理を目的とする農家の知恵を生かした雑木林管理」を絶対条件とする。

父が他界し直ぐに企業を退社したことで、収入はゼロになり正直生活が脅かされた。相続税を払うために家族を犠牲にしたことで、妻、子供達には現在も大変な思いをさせている。ちなみに横浜市は里山寄付をする場合、諸経費は全て市が負担する里山条例が整備されていた。

これからの里山保全活動について
雑木林ボランティア活動も2年目を向かえ会員も30人程に増え、月2回の活動も常時10 人前後の皆様が参加して頂いている。
この里山は一般の公園管理と全く異なっている点について農家を続けている私は啓発をしていかなければならないと考えている。農家が何故クズ掃きをしてきたかを広く訴えなけれはならない。雑木林と農業の密接な関係を今の時代だからこそ、食に対し何が我々に対して一番安全なのかを。多摩市に寄付をしたとはいえ、寄付の基本は「里山」を次の世代に今と変らぬ姿で残すことであり、人工的な公園管理とは、全く異なる。雑木林の植生を崩さない、活動をしなければならない。子供達の自然学習の場として。
      以上

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