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『江戸名所図会』で見る関戸・一ノ宮、そしてなな山 [ナラ枯れ]

ナラ枯れに直面しているなな山の未来を想像する旅は、一気に江戸時代へ。多摩市の農家さんの「尾根は松、谷は杉」からヒントを得て、コナラが多いなな山はその昔マツ林だったのでは? と思いが馳せる。この格言は「中はヒノキ」と続くが、江戸時代は農業奨励のため雑木林づくりが勧められていたから、山の中腹は落葉樹とも考えられる。

『江戸名所図会』の「小山田旧関 関戸惣図」には関戸と一ノ宮が描かれ、少し離れてなな山と思われる林が見える。

小山田旧関 関戸惣図_021.jpg
『江戸名所図会』小山田旧関 関戸惣図。国立国会図書館デジタルコレクション。
クリックすれば拡大する。

小山田旧関 関戸惣図_022.jpg
絵に描かれていた文字を書き写した。「なな山」は私が付け足した。

「この絵は、関戸と分倍河原の間の多摩川の上空から、南の多摩丘陵の方面を眺めている。画面手前を横切る道は、都道41号の川崎街道にあたる。右端に「一宮」とあるのは一ノ宮村で、小野神社の鳥居が小さく見える。…… 川崎街道と多摩丘陵の間を流れる「大栗川」の橋を渡り、曲折する道を画面奥に進むと、「関戸」と記された村がある。…… その関戸村から右に尾根をたどると、山頂に「天守台」とある。桜ヶ丘一丁目の金比羅宮を鎮座している場所だ。」(「『江戸名所図会』でたずねる多摩」重信秀年著 けやき出版 p.106)

この絵で見る限りマツが多い。なな山は、中央やや右上のマツ林あたり。葛飾北斎の絵にマツが多いのも頷ける。

グーグル アースで角度を合わせてみると、富士山が現れ、右奥にある「秩父」は見えにくい。

大栗川・関戸周辺_GoogleMaps_2_800.png
グーグル アース。手前が聖蹟桜ヶ丘駅周辺、左中央が桜ヶ丘一丁目周辺。中央右の帝京大の赤茶色のビルの手前がなな山。

ちなみに、関戸の天守台は松が生い茂る山頂にある。

関戸天守台_2.jpg
関戸天守台

「社殿は参拝者が上っていく石段の上、峻険な山の頂の巨松の根元にある。眺望は抜群で、多摩川が左から右に流れ、府中宿をはじめ、武蔵野を一望に収める。」(「『江戸名所図会』でたずねる多摩」重信秀年著 けやき出版 p.110)

この天守台からの眺望は素晴らしい。関戸が交通の要所だったことに納得。

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