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雑木林からの恵 [プレイバック]

雑木林は何時の頃からか、里山(山里を逆さにしたもの)と呼ばれるようになりました。

今日、自然環境を守る事が必要と誰もが訴える時代となり、益々「なな山緑地の会」の活動の役割が大きくなって来ていると感じます。又「市民と自冶体」が共に協力し合う、協働の時代です。雑木林とは、先人たち(農家)が築き上げた「自然との共生」であり、自然界と人間社会の「もちつ、もたれつ」の関係が築かれて今日に至ります。

放置された雑木林は原始の姿に400年くらいで戻ります。しかし手入れをした雑木林の植生は、コナラ・クヌギ等の広葉樹と工ビネ・キンラン・シュンランなどの代表的な植物が現在まで生き延びて来ています。毎年手入れをする事で、春になると新緑が芽を出し草花が開花し、一年を通し雑木林には季節ごとの顔があります。初夏には子供達が喜ぶカプトムシが堆肥の中から巣立っていきます。

我が家は、農家で里山の萌芽更新からクズ掃きシイタケ栽培として里山を維持してきました。薪で、ご飯・風呂を沸かし、落ち葉で堆肥を作り畑の土づくりをして来ました。
田畑があるから里山が有るのではなく、里山があるから、田畑があるのです。

平成13年に相続が起こり、翌年の6月に多摩市に1 ha寄付し、「和田緑地保全の森」として都市計画決定されました。

何故、相続人である私が雑木林を寄付をしてまで保全を優先する決断をしたのは、数百年経過している雑木林を造成開発するのは、今の建設技術では容易なことですが、一旦壊したものは、今の姿に復元する時間は300年400年の時が掛かります。

現地は南傾斜面のため、前から見ると7階建て後ろから見ると3階建て等の共同住宅の建物が計画可能でした。金儲けをする為に開発を行えば、今日優雅な生活が出来ていたと 思います。しかし、先人達が手入れをしてきた雑木林を守ることは、我々子孫の為には欠かすことのできない緑地であることを重視しました。

当時多摩市の都議会議員新井美佐子氏に色々と助言を頂きましたが、雑木林を保全する仕組みは何も無く、寄付行為のみが残す手段でした。

食について安心安全などの言葉を良く耳にしますが、何を持って安心安全なのかを、一人一人が自問自答することが必要です。旬の野菜を食する事が我々の身体には一番良いことは、誰もが理解できていると思います。スーパーでは「春夏秋冬」全ての野菜が全てショーケースに陳列して有り、食べたい野菜は何でも手に入る時代ですが、地球温暖化の視点から見ると、ビニールハウスで作る冬のキュウリはどれだけの温室効果ガスを発生させているのでしょうか。

近代化が進む農家は、雑木林の落葉広葉樹の落ち葉からの堆肥作りは忘れ去られています。また、農家で相続がおこると、田畑は生産緑地を解除し開発されます。相続税を国に納めるためです。相続時は、「田畑・雑木林も含め全て宅地並み課税」で評価されますが、農地は納税猶予があり、相続人が農業を30年間続けることが条件です。現金収入が少ない副都心の農家は皆さん口を揃えて「子供に農業は継いでもらいたく無い」と断言します。
今日、地産地消を市民の皆さんと共に考える時期に来ています。
なな山緑地の会は、雑木林が寄付後市と委託管理契約を締結し現在に至ります。雑木林の環境保護活動の他、畑を耕作し野菜を育て収穫祭を行い参加している誰もが里山の恵みを肌で感じて、五感を通し里山の恵みを得られることを大切にしています。

特に子供達には雑木林の中で虫取り等の遊びを体験することで、自然環境の心を学ぶことが出来ます。会の発足以来、企業からの助成金を受け、活動に必要な道具を購入した とで、作業効率がアップしております。これからも助成金が受けられる補償は何も無い中で、今後は雑本林からの産物で対価を得ること。又当会が自立できる仕組み作り及び、地域を巻き込み、人を育て里山保全を行う事が急務です。
以上
   S崎さん    2012年10月28日

新緑のなな山_IMG_9080_200515.JPG

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