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『調布玉川惣画図』で見るなな山は松林!? [ナラ枯れ]

落葉樹が広がる雑木林がナラ枯れの被害にあったあと、どのような姿に変貌するのかを探る旅は、葛飾北斎や安藤広重の絵をヒントに『江戸名所図会』に辿り着いた。その図から、なな山は松林では? という想像が膨らんだ。

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『江戸名所図会』で見る関戸・一ノ宮、そしてなな山(https://nanayamaryokuchi.blog.ss-blog.jp/2021-06-23

明治時代、政府によって尾根筋にマツ、谷筋にスギの植林が推奨されたが、江戸時代の里山は荒れ地に強いマツが自生していたと思われる。

さらに調べてみると『調布玉川惣画図』に巡りついた。これは、「江戸時代後期、関戸村の名主・相沢伴主が、多摩川の流れがどこから始まるのか調べてみたいと思い立ち、上流から下流まで歩きながら流域の名所や風景を写生し、長谷川雪堤が浄書したもの」(多摩市立図書館)。13メートルにも及ぶ絵巻物。地元の関戸村周辺は少し細かいうえに、遠くに富士山も望む。

調布玉川惣画図_1080.jpg
調布玉川惣画図

右端の「松蓮寺」は、現在の百草園にあった。そのやや左上がなな山。ここにもマツが描かれている。

ちなみに大栗川について、「大クリ川ハ関戸村ノ入口にアル小川ナリ」とある。

調布玉川惣画図_説明文_1080.jpg
大栗川の解説文

もう一つ気がついたのが、多摩川の源流を描いた先頭部分。「大菩薩嶺」とある山肌には樹木が少ない。現在、落葉樹や常緑樹、針葉樹が生い茂っている奥山は、当時樹木がまばらだったではないか、ということだ。管理が行き届かない奥山は、現在見るような姿ではない可能性が高い。これは、松が多い里山も同じ。落葉樹が生育し緑あふれる里山のイメージは近代に形成されたものといえる。つまり、私たちの自然観は極めて近代的であり、自然は昔から不変というものではない、ということ。

調布玉川惣画図_源流_1080.jpg
多摩川の源流

なお、「調布玉川惣画図」は、多摩市立図書館の多摩市デジタルアーカイブで公開している。複製本は貸し出しができる。

「調布玉川惣画図」多摩市立図書館/多摩市デジタルアーカイブ
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/1322405100/topg/02_sougazu/index.html

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