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「好い無駄な時間」の話し [よもやま話]

あるテレビ番組で、「大いなる無駄も人生を豊かにすることがある」と言っていた。
その夫婦は全盲だと言うが、部屋には観葉植物が飾られている。
家の主人には観えるのだろうか?……誰かに見せるためだろうか?

コロナ禍の下で、膨大な時間を家で過ごした。この間、なな山にも行った。この無駄も私の人生に何らかの豊かさをもたらしてくれているのだろうか?と考えてみた。

この間、気付いたことがある。人は同じものを観ている訳ではない。視力のことを言っているのではない。なな山を一緒に歩いていると、「ほら、○○が咲いているわ、可愛いわね」という人が居る。私は辺りを見回すが、何も見えない。草ばかりである。
「どこどこ?」と聞くと教えてくれる。大概は私にとって、見栄えのしない小さな花である。

しかしそんなことでも体験を重ねてくると、私にも見えてくる。目線の行く先を脳が?眼が覚えるのであろうか。「ホントだ、咲いているね。」となる。
まだ確かではないが、「なな山を歩くことに新しい楽しみを覚えた」。
今年になって、楽しみにしたことが二つあった。
一つは、「ヤブレガサの花の移り変わり」だった。咲き始めから枯れ終わるまで、長い時間楽しむことが出来た。

ヤブレガサ.jpg
開花の頃のヤブレガサ(左)、満開を過ぎた(?)ヤブレガサ(右)

もう一つは、「コクランの花の咲くまで」だった。こちらは今年の新しい葉が出て来て、細い花茎を立ち上げ、開花を期待したころに花茎がお辞儀してしまった。「花を咲かせることが難しい」と教えられた。しかし、「全部だめだね」と諦めていたら、脇の方からスル~っと伸びた一本の花茎が花をつけた。みんなで喜んだ。ホントに小さな花だ。
嘗ての私には気付かないで終わっていた世界が少し見えた、と言うと大袈裟だろうか。
どうすればこんなことを繰り返し楽しめるのかは分からない。でも、コロナ禍でも、自分の楽しみを見つけて、共に喜ぶことが出来た。これは間違っていない。
これが、私の人生の豊かさでなくて何だろう。……なな山で「好い無駄な時間」を過ごすことが出来た。
   「恥ずかしいから名前を出さないで」さん

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