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なな山緑地、どのようなイメージを描くか? - 「なな山緑地のあり様を思う」 [よもやま話]

なな山緑地の会のみなさん

こんにちは。

倉庫にある記録を紐解いていたら、なな山緑地の地図やゾーニング計画案といった図が出てきました。なな山緑地の会の設立当初、なな山緑地を里山としてどんなイメージにするかいろいろと検討されていたもののラフスケッチでしょう。

あれから15年以上経過し、改めてそのイメージを思い起こし、今後具体的な形で里山保全活動に結びつけていくことが大事と思います。

例えば、「四本松の森」(中の山)は頂上付近でのクヌギ植樹がうまくいかなかった、一方、奥に作業道を開くことで植生が変わりつつある、などといったことが目の前に展開されています。

いまテーマにして保全計画を検討しようとしている常緑広葉樹の森・中の山や東の山について、どのような絵を描くかは大事なことだと思い、A田さんにお聞きしました。
1. 当初描いていたゾーニング計画などのモチーフは?
2. その後15年の経過を踏まえ、今後どのようなイメージを描いたらよいか?

A田さんから熱い想いと今後の方針をいただきました。
これまでの18年を踏まえ、今後どのようになな山緑地の絵を描いていくか、大いに参考にしたいと思います。

**** ここからA田さんの文書 *****

なな山緑地のあり様を思う  2021,3,20

なな山緑地と呼ばれるようになって、17年になろうとしています。
これまでの思いと活動を振り返って、今後の方向性と進め方を、少し整理してみます。

西の山
当初、なな山緑地は、元の地主から寄贈された1ヘクタール強のこの部分だけでした。
元の地主の寄贈条件として、「農家が長年行ってきた雑木林の手入れを継続し将来につなげること」が絶対条件でした。そして、植林されたスギ・ヒノキは将来、府中の大國魂神社に、事ある時、材木として寄進したい思いがありました。
保全活動はこのことを意識して出発したのです。
先ずは、誰でも活動しやすいように活動の道づくりから手を付け、草刈り・落ち葉掃き・枯損木の伐採片付け・針葉樹の間伐・枝打ち、林床の草花の保全・発生木材の利用と多岐にわたっていきました。
やがて、この自然性の溢れるなな山を、近隣の方々・学校関係と子供たちと共に享受していくようになりました。
元の地主さんが手を付けなくなって20年。ほとんどのコナラ・クヌギ・ヤマザクラ等の主要木は70年ほどの樹齢になっています。今後の最重要課題は、この林の若返りをどのように図るかという事だと思います。これらの樹木はかつて見ないほどの高さ・太さ・枝張りになっています。現在頭を悩ましている、ナラ枯れ問題の究極の解決策もこれしかないと思います。また、地球環境問題・二酸化炭素の排出抑制としての、吸収源として、吸収力が減少した老齢木から、吸収力旺盛な若齢木に切り替えることの役割も合わせ持っています。そして伐採木は、材料として使うことです。製品にすることによって吸収された二酸化炭素が固定されます。家具等に使い、風雨に晒さなければ何百年という長期間炭素を固定化したままです。さらに言うなら、伐採木はナラ枯れ感染木を含めて、炭材として、炭に焼いてしまうことです。燃料・土壌改良剤・水質浄化剤・乾燥剤としての炭にします。そのまま置けば永久的な炭素の固定化となります。カシナガの処分と二酸化炭素の放出削減の一挙両得です。萌芽更新や苗木の植樹によって若返ると、林床に注ぐ日光の量が増大し灌木・野草の生育・発芽等にも注目しなければなりません。
林床の草刈りは、希少種の野草とに折り合いを付けつつ、毎年刈りこむところと、数年に一度は刈りこまなければならないところを区分けして行いたいところです。

中の山
4年後になな山に加わりました。
一歩、山を踏み入れて、その荒れ方に唖然としました。二の足が踏めないくらい、枯れ木と倒木が重なりあい、手のつけようがありませんでした。何日掛かったでしょうか。片付け終わった山頂付近は何本かの高木を残して、はげ山状態でした。高木の内、大きな4本のアカマツが目立ち、のちに「四本松の森」と呼んでいました。この松を活かした森づくりを目指そうと考えました。片づけた枯損木の内にも何本かのアカマツがありここはアカマツに適した山ではないかとも思ったのです。
ところが数年のうちに、このマツが徐々に枯れ始め、ついには全て伐倒しなくてはならなくなりました。思うに、マツは、自ら森での役割を終えたものと考え、身を引いたと思えるのです。その時すでに何本かの実生のマツが生まれていたのです。
前後して、はげ山に、実生で育てたクヌギを30本植え付けました。数年は順調に生育しているかに思えましたが、やがて数本を残して勢いが弱まり、枯れていきました。水分が不十分であったかもしれませんが、それ以上に、周辺に生え始めた他の樹木の生長の勢いに阻害されてしまったのではないかと考えています。クヌギがなくなってもこの付近は藪を作るほどに多様な樹種が伸びてきたのです。
現在は中の山と呼んでいるこの辺りは、ヒサカキ・シラカシ・ユズリハ・カクレミノ等常緑の広葉樹が大勢を占め、各種落葉広葉樹を混ぜ合わせて、なな山の多様な植生の典型となっています。
ここは比較的中低木林として、林床に届く木漏れ日を確保できるよう間伐を進めていきたいと思います。林床の野草にも注目です。

東の山
5年後になな山に加わりました。
落葉広葉樹とスギなど針葉樹の高木が少し混じっていますが、ほとんど全面、背丈を超えるアズマネザサに覆われていました。
人の立ち入りが不可能であったため、まず基本ルートを巡らせ山全体の調査をする必要があると感じ調査用ルート作りから始めました。アズマネザサの藪にスズランテープを張って、「ひとひろ」の幅にササ刈りしながら道を付けていきました。
少したってから、このアズマネザサの密生は、籠編み・野菜や野草の支柱・子供の遊び道具などに利用しない手はないと感じ始めました。きっかけ作りになることを探そうと心に決めていました。時を待たず、それがやってきたのです。市役所の市民生活課で「多摩のめかいづくり講座」を開きたいが、材料を大量に採取できるところがないかという情報が耳に届きました。真っ先に手を挙げました。市の職員・メカイの指導員・情報をいただいた森木会のスタッフたちに、先ず、なな山のアズマネザサを見てもらうことにしました。思惑通り十分な満足をもって認められました。これ以来、これが今でも継続されているのです。
材料の採取はこのまま継続しても、十分足りていますが、よりよい材料に育てるには、どうすればよいだろうかと考え、周辺のイベント等で関係ありそうな方への問い合わせ、研究者がいないかどうかの当たりを、調査等を試してみたところ、アズマネザサを根絶やしにする努力はあちこちでなされていましたが、育て方に関する回答は全くありませんでした。
そこで自ら確かめようと、ある区画を決めて、①総刈りする部分、②間引きする部分、③列状に刈り込む部分の三通りのやり方を試し始めました。①は5年ほどたちましたが、追っかけ手入れを続けなかったため、新しく生えても物になりませんでした。②は4年たちましたが完璧とまで言えませんが、結果は良好と思われます。③は①ほどではないが手入れが必要です。
そして、昨年の秋から、木工クラブの有志が週に数回、山に入り、アズマネザサの手入れを始めました。片っ端からアズマネザサの間引き作業を続けています。実にきれいなアズマネザサ林が東の山全域に現れ始めました。そして、林床には、何か所かにエビネやサイハイランなどの野草の群落が新たに見つかっています。残りは約半分です。まだまだ何か新しい発見がありそうです。
総刈り・間引き・列状刈り部分も委細構わず、間引きの手入れは進められました。それにより、総刈り部分もより良い材になる可能性が出てきました。
今後に引き継いで活動したい状況です。

こうした間に、1年半かけて、緑地全体の樹木調査を行い、ある程度の全体像をつかむことが出来ました。
このように、3様の姿を見せるなな山には、それぞれ今後に向けての可能性を見事に感じさせてくれる魅力にあふれています。

私の想いの一端を述べさせていただきました。参考になるところがありましたら、是非ご考慮いただき、皆様の活動の一助になればよいと思います。
   A田さん

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西の山地図_2005年

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なな山緑地地図_2005年8月

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なな山緑地ゾーニング計画案

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