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なな山緑地のあり様にコメント + 寄付から20年を迎えて(グリーンサークル41号) [よもやま話]

"なな山緑地、どのようなイメージを描くか? - 「なな山緑地のあり様を思う」"(2021.4.8)のブログ記事についてS崎さんからコメントが寄せられましたので紹介します。

***** ここから住崎さんのコメント *****
S崎です。

西の山は、私が今までくず掃きから畑の作業を続けていることは、農業と雑木林のかかわりを消したくない思いで二足の草鞋を履き、今年で20年間続けているのであり、「過去のもの・元の地主が手を付けなくなって20年」ではありません。

また、シイタケを栽培している針葉樹林は、木漏れ日がシイタケ栽培に適しているから谷に針葉樹を植えたのです。
谷間で、雨が降ると水が谷間に流れ込み、適度な湿気と木漏れ日が差し込み、肉厚のシイタケが栽培できることが主な目的です。

昔のように、マキで風呂を沸かす、ご飯を炊くことは昔のモノになりましたが、萌芽更新をできる範囲で進めて行くことで良い。
寄付の条件は、これからも変わることは在りません。
また、農家は一年を通して山に入るのは冬のみです。散策路を造ることで雨が降ると、土が流れ侵食されていきます。
農家が江戸時代から萌芽更新をして、下草・くず掃きをしてきたから、生態系の維持が出来ているのです。
下草刈を続けているから、里山の植生が今も維持できているのであり、希少植物を保全をするとかではなく、このやり方が今の植生を残してきたのです。
自宅の庭に花を植え育てるモノとは全く異なります。きんらん等は雑木林の生態系の一部なのです。

会の発足から18年しか携わっていないのです。農家の山の手入れは、300年以上続いているのです。
「今の時代だから」ではなく、先人たちが残した形を継承するのが大切です。
できる範囲で継承することが、私と父親の約束です。

グリーンライブセンター事務局のA羽さんから、2月初め連絡が入りました。
「グリーンサークル」という広報誌に、「寄付から20年」をテーマにして下さいと。
   S崎

***** ここから「グリーンサークル41号」 *****

早いもので、父が他界し、今年で20年を迎える。私は当時会社員で名古屋に単身赴任していた。
H13年8月末父が倒れ病院に駆けつけると、担当医からあと数日の命と告げられた。
名古屋と東京を往復し9月3日夜見舞いに行くと、「トラックの荷台に俺を乗せて畑につれていけ」。私は「後は自分が畑をやるから大丈夫」と思いもしない言葉が出た。
父は、「そうかやってくれるか」と微笑みを浮かべ、私の手を握った。その晩名古屋に戻り翌朝出社すると直ぐに電話が鳴った。今朝息を引き取ったと。
長男である私は本家の跡継ぐ覚悟を決めた。申告は10ケ月以内だ。妻にも相談せず会社に退職届を提出した。妻からは、私たち生活費はどうするの?
子供たちは、小学校3年生と1年生だった。都市近郊の農家は相続税が数億の額になる。サラリーマンの収入とは比べ物にならない。土地はあるが、現金等あるはずがない。生産緑地を売却し相続税を納めるのが現状だ。

多摩市は和田の山一地帯を緑の基本計画緑地として線引きをしていた為、買収を要望したが、財政面で余裕がないと。京都では、京都議定書が議論・採択された時代であった。
「和田の山」評価額は20億越えであった。このまま相続したら山を造成することになるため、国・都の緑地保全策を調べたが、今の姿を残す仕組みは何一つ無かった。渡辺市長を訪ね、雑木林は農家の維持管理を継承する条件で、寄付に至った。
また、行政に山を寄付することで相続税は免除されるからだ。2004年多摩市で開かれた全国雑木林会議の分科会で、パネリストを担当し里山保全をする法整備が無い現状を説いた。一緒に参画していた横浜市緑政局田並静氏は、多摩市は寄付をする人に諸経費まで負担させている行政姿勢を批判した。ちなみに横浜市は諸経費全て行政負担である。
傍聴した渡辺幸子市長は「私は諸経費まで負担なさった事を初めて耳にした。誠に申し訳ない」と、頭を下げた。

同年、農工大と府中市民共同企画で環境づくりをテーマにした「都市に水とみどりのやすらぎを」のパネリストを担当し、里山を寄付する経緯を市民にしたところ、傍聴席からは、「何故、多摩市に寄付をするのか。あなたは府中市民ではないか。雑木林を売却し大きな利益を得た方が得」等の声が多かった。
2013年多摩市「みどりの基本計画改定」の市民説明会を傍聴。寄付した土地の一部が私に説明もないまま道路拡幅計画に含まれ唖然とした。市へ金銭で清算する様、申し入れた。

私は、父との約束を守り毎年「くず掃き」を続け、今年で農業歴20年を迎える。江戸時代から続く雑木林の恵みを、畑に循環させる啓発を続けている。「なな山緑地の会」は、会発足から髙木直樹会長・相田幸一副会長を始め会員の皆様、当時公園緑地課菊地主査の協力があって、17年間活動が続いている。雑木林は子供たちへの環境学習の場であり、多くの方々に愛されている。
会の運営は、事務局鎌田文雄さんが色々な団体・企業へ環境保全活動助成金を申請・プレゼンを行い9割以上の確率で受領した。個人的には建築士として日本建築士会連合会から「まちづくり賞」を受賞できたことを誇りに思う。
また、中原君代さんを中心に、なな山緑地の植物調査を実施し、植物図鑑にまとめられている。その他、牧野記念館に収納する活動を進め、382点の「さく葉標本」を収めた。2018年TMUギャラリーで開催した植物標本展を開催し、多くの市民が訪れた。標本の作製に携わった会員の「名前・何時どこで採取した等」記録され、次の世代の貴重な資料となると信じています。
結びに、雑木林の維持保全に汗を流した、多くの皆様に深く感謝申し上げます。
  住﨑 岩衛(住﨑建築事務所)

なな山緑地(和田緑地保全の森)
多摩市和田にある、特別緑地保全地区。住﨑さんにより2002年多摩市に寄付された。この森を保全するために、2003年「なな山緑地の会」が地域住民とグリーンボランティア講座修了者で結成された。
   多摩市グリーンボランティア通信「グリーンサークル」41号(2021年3月20日)より

和田の山の思いを伝える.jpg
「和田の山」の思いを伝える(グリーンボランティア講座にて)

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